死に至る眠り・前編
a side story ビッケ篇
承前
目を覚ましたビッケの目にはいつもの自室の天井が映る。
(ああ、良く寝た)
何か大変不思議な夢を見ていたような気がする。何か赤い光が………いや、もう思い出せなかった。
もぞもぞと何かの動く気配がしたので、そちらへ目をやった。アイルーのファーが丸くなって寝ている。どうしたのかしら、とビッケは思う。いつもの寝間着と違って、なんだかいつの間にか寝てしまった、という格好でファーは寝ていた。
ベッドの脇の突き上げ窓を開けるとまだ外は薄暗い。
空を見上げると星がない。どうやらかなりの曇天になっているようだった。
(昨日山から見た限りではしばらく崩れそうもなかったのに…)
妙な違和感を抱きながら、彼女は寝床からはい出す。立ち上がると少し目眩がした。それに妙に喉が渇いている。あるいは気がつかないうちに体調を崩していたのか…小首をかしげつつ台所の方へ行き、水瓶のふたを開ける。
(あれ?)
水瓶からは少し古くなった水のにおいがした。昨日山へ登る前に水瓶の水は新しく満たしておいたはずだけど…そういえば山から帰ってから自分はどうしたのか…ようやく目が覚めてきたビッケは徐々に昨夕の模様を思い出していた。
母さんからの手紙、Gクラスの許可、黒の継承者、村長の話…母さんは黒龍討伐の英雄だった。そして…そして、そのあとの記憶がない。一生懸命思い出そうと、もう一度集会所のやり取りからたどってもそこで記憶の糸は切れていた。頭が少し痛い。
自室の方でかたんと音がした。戻ってみるとファーが上半身を起こしてぼんやりとこっちを見ている。寝ぼけているようだ。
「おはよう。ファー?」
「ニャ、旦那さんおはようさんですニャ(ペコン)。今ボクはおさかなの夢を見てたみたいですのニャ。でっかい大食いマグロニャ。でっかい大食いマグロがあっちにも、こっちにも…きっとこのあいだ旦那さんが釣った…」
半分閉じているようなファーの目がだんだん開いていき、それにともなって寝言のような朝の挨拶は尻つぼみになり…そのままいつもの寝起きを超えて目が見開かれた。黒目がもうまんまるである。
「だ、旦那さん気がついたのかニャ!起きて良いのかニャ!ニャニャ!大変だニャ!みんなに知らせるニャああ!」
そうまくしたてるや否や、土間の扉へ激突するような勢いで家を飛び出していってしまった。
(気がついた?)
呆然と見送るビッケ。
そう、彼女が気を失ったのは昨夕ではない。村長の話に気を失った彼女は、それからこんこんと眠りつづけた。実に、その間三日という時間が流れていたのである。
メタペ湿密林の眠鳥
「…でもね、お姉さんが思うにね〜?こういうときはがつんと派手な狩りを成功させちゃうに限るのよ〜」
「はあ…がつんと、ですか」
「そうなのよう…」
さらに三日後のことである。この三日間は村長の厳命で安静を強いられていたビッケである。
長い眠りから目が覚めた朝、ビッケの家にはファーの騒ぎで村中の人間が押し掛け大騒動になった。村長の一喝がなかったらビッケは再び気を失っていたかもしれない。
ビッケの容態は追って皆に知らせる、必要な人手は知らせて頼む、ここで騒がずおのおの家に戻れ……そう村長は皆に申し渡し、ひとまずその場をおさめたのだった。
「あの、あたしは…」
「体におかしなところはないかの?」
「は、はい。少し頭が痛いですが…あとは特に」
「うむ。ならば問題なかろう」
「問題ない…ですか」
気を失って三日も意識が戻らなかったのだ。そう簡単なものだろうか。
「ビッケよ。そう不安がることはない。そうさの、これは…おまえの器がまだ準備できていなかったと、そういうことよ」
「器…ですか」
「うむ。いずれその時が来たら詳しく語ってもやろうが、今はまだその時ではない。おまえがハンターを続けるのならば、いずれその意味に追いつくはずじゃ。今は体を休め、これまでどおり次の狩りへの準備としたら良い」
「はい。でも、体はどこも…休むと言っても」
「三日じゃ」
「はあ」
「これより三日は狩りはおろか山へ出ることもまかりならん。良いな?」
ということだった。普通ならとても納得のいく説明ではないが、ビッケはこの手のやり取りには慣れっこだった。父も母もその話にはいつもなにがしかの「含み」があった。村長がいずれわかると言うのならばわかるのだろう、と割と簡単に納得してしまうビッケだった。
もっともこれは彼女が思慮の足りない娘、ということではない。むしろ逆だ。本人もあまり意識はしていないが、この一件でも村長の想像を遥かに超えたところへその視線はとどいていたのである。
さて、時は戻って安静明けのビッケ。彼女はさっそく集会場へと顔を出した。もとはと言えばGクラスの狩猟が許された、という点が本題だったのである。
ギルドマネージャーも村長から話が通っていた様で、あれこれビッケの容態を聞くこともなく、すぐさまクエストの依頼について話し出した。
「んふふ?ビッケちゃんが寝てる間にちょうど良い依頼を引っ張ってきたわよ〜?」
そう言ってマネージャーは一枚の紙片をさし出した。
死に至る眠り
指定地:メタペ湿密林
成功条件:ヒプノック1頭の狩猟
依頼主:メタペタットの商人
依頼内容:
樹海に潜む眠鳥、ヒプノック。討伐に向かったハンター達も、みんな眠らされて失敗続きだ。おかげで素材の価格は高騰中。あんたも、挑戦してみないか?
「…あの」
クエストにつけられたタイトルに、ここ数日の自分を重ねて少々眉根を曇らせたビッケだったが、そんなことはすぐに頭から払いのけられた。問題は他に山積している。
「あのですね」
「どうしたの〜?」
「あたしはメタペ湿密林というところを知りませんし、ヒプノックというモンスターも知りません」
「ん〜。メタペはミナガルデの管轄だし〜。ヒプノックは最近発見されたモンスターですもん。ビッケちゃんが知らなくてもおかしくないわよ?」
「きょとん」と音がしそうな顔をしてギルドマネージャーはそう言った。ビッケはまた少し頭が痛くなってきたような気がしていた。
「でもこれGクラスの狩猟依頼ですよね。あたしはそこに初めて挑戦するんですよ?知らない場所で知らないモンスターを相手にするんですか?」
「………あ。無茶だわね」
「はい。無茶です」
あらあら、まあまあ、とギルドマネージャーは口を押さえて左右をきょろきょろしていたが、あまり益になるものは見えなかったようだ。でも彼女は引かなかった。
「うう〜んと…でもね、お姉さんが思うにね?こういうときはがつんと派手な狩りを成功させちゃうに限るのよ」
「はあ…がつんと、ですか」
「そうなのよう。ほら、ビッケちゃんってまだGクラスハンターとしては無名じゃない?Gクラスはね、依頼主もハンターを選ぶのよ。無名のハンターが名乗りを上げても平気ではねられちゃったりするのよ?モンスターも並じゃないじゃない?被害の拡大速度もすごいのよ。だからね、ハンターの腕が確かで手早く歯止めをかけてくれないと依頼主さんも困っちゃうわけ」
なるほど。それはそうかもしれない。Gクラスのモンスターが同じ種類の弱個体の三倍強力だというのならば、被害の規模も拡大速度も三倍以上となるだろう。
「でしょう?だから〜、ここでこういったやっつけちゃうと噂になるようなクエストを成功させちゃうとね、このあと色々楽になるのよ〜」
だ、そうだ。
正直ここは悩みどころである。いや、真っ当に考えたら考えるまでもない。ビッケは名声に興味なんかない。命がけで名を売る必要はない。
でも、ビッケは結局この依頼を受けてしまった。無論急に名を売る気になったわけではない。ただ…(この先この程度のことは当たり前になる)…そう、思ったのだ。なぜそんな風に思ったのだろう。
やはりあの日以来、彼女の視線は少し遠くを見据えていた。本人に自覚はなかったが、Gクラスの向こうをすでに見ていたのである。
出立前
「これを使ってみようかと思うんです」
「ほう、これはまたごついのを引っ張り出してきたの」
そう言って村長は少し眉根を寄せた。
ヒプノックの狩猟にあたって、ビッケは母の武器を使ってみることにした。今回は行く土地に関しても相手にするモンスターに関しても不慣れとなる狩りの話だ。本来は使い慣れた武器を手にして挑む方が良い。村長の表情もそう言っていた。しかし…。
母の武器庫の使用許可が下り、村長に案内されたビッケは「その扉」を前にしたのだが、早くもその時点で思考が停止していた。
(ここは…)
集会所を左脇から抜け、裏手から続く細い道をしばらく進むと、そこはささやかな広場になっており、その奥は断崖がそびえて終わっていた。
別段特別な広場というわけでもなく日中は子供達の格好の遊び場となっているのだが、奥の崖に穿たれた大きな扉は尋常ではない。ポポでも通すのか、という大きさのその巨大で分厚い樫の扉には、正面全体にギルドの正紋が刻されていた。
村の者なら知らぬものはない。いや、にもかかわらず知るものはいない。
村の誰もこの扉の向こうがなんなのか知らず、また問うこともしないほどに開くことのない扉である。
(これが、母さんの武器庫?)
にわかに信じられることではないが、村長に促されるままに先だって受け取った鍵を鍵穴に差し込むと、乾いた音を立てて、あっさりとその「謎の」扉は開いた。
中は石室(いしむろ)になっており、ビッケと村長は壁伝いに点々とあるろうそくに灯をともしながら奥へと進んだ。
そして、暗さに慣れるとともに、目に映り始める膨大な武器。奥の壁にはこれまた膨大な資料の山。
正直言ってよもやこれほどとは思っていなかったので言葉もない。母について村長から少しでも聞いていなかったら何かの間違いではないかと不安になっていたことだろう。
近年になって発達した狩猟笛やガンランスのたぐいこそなかったものの、それ以外のすべての武器種が網羅された大変な武器庫であった。話には聞くが実物にお目にかかることはまずない、と世間で評される希少な武器もちらほら目につく。
例えば今目の前の壁に当たり前の様に掛けられているライトボウガンは、その名を『繚乱の対弩』という。伝説の金銀飛竜素材によってできているという代物であった。ビッケは(金レイア・銀レウス…本当にいるのか…)といった間の抜けた感想を抱くのが精一杯である。
さらに奥にはギルドの正紋の刻された飾り箱も並んでおり、それには触れることすらためらわれた。繚乱の対弩が普通に壁にかけられている武器庫にあって、厳重に「箱入り」になっている武器とは一体何であるのか…それはもう、すでにビッケの想像力の範囲を大幅に逸脱していた。
しかし…はたして人後に落ちない活躍をしたハンターだからといってこうも揃えられるものだろうか。
「おまえの母殿はの、いわばギルドの裏方『ギルドナイツ』の最高位に居ったのよ。いや、もはやギルドナイツですらなかったな」
呆然とするビッケの心を読む様に村長が話を続ける。
「内密な狩猟はもとより、日々工夫される武器を試す、というのも母殿の仕事のうちだったと、そういうわけよ」
今風にいえばモニタといったところか。
「が、無論その素材は母殿自らが入手したものじゃ。じゃからこうしてここにあるわけだがの」
ということは結局母はおとぎ話に出てくる様なモンスターを狩猟していた、ということになる。
「まあゆっくりと見て回りなさい。良く分からぬ武器の刀身などには迂闊に触れたりせんようにの」
立ち去りかけ、ふと立ち止まって村長がさらに語を重ねた。
「じゃがの、ビッケ。ここにある武器は確かに当時は最強を謳ったものが並んでおる。しかし、それより時がたち、モンスターどももひと回りもふた回りも強うなっておる。今ではこれらの武器を持ってしてもGクラスの狩りを簡単に叩き伏せる、というわけにはいかん。過信は禁物じゃぞ」
「はい。だから母はここを開いたのでしょう」
あまりに予想を超える展開に母の印象が怪しくなっていたビッケだったが、その自分の一言に自分の良く知っている母の面影を感じて少し安心した。
「ホッホッホ。わかっているなら良い」
そう言い置くと、村長はビッケを一人残して、武器庫を後にした。
そして、しばらくの後に武器庫から出てきたビッケは、一振りの大剣を手に村の広場へ戻ったのだった。
クロームデスレイザー。母の武器庫で一番目をひいた一振りの大剣である。一切の装飾を排し、見かけは初心の大剣使いが良く背負うバスターソードと何ら変わることのない外見をしている。
が、この大剣。並みいる狩猟用の武器の中にあっても最強クラスの毒性を持つ毒属性の大剣である。さらに、その切れ味に至っては「危険すぎる」とされ、その製法を考案した鍛冶を追放の憂き目へ追いやった、と語り継がれる程の逸品であった。
「しかし、良いのかの?いくら母殿の武器とはいえ、おまえにあわせて調整されておるわけではないぞ。今回は急な話じゃ。手にあった武器を用いる方が良いのではないかの」
「はい。あたしもそう思っていたんですが…」
そう言うとビッケはその毒大剣を真っ向に構えて腰を落としてみせた。大剣の最も基本的な構えである。
「おお…なんと…」
村長が驚きの声を上げる。
重厚長大である大剣の扱いは小手先の技術でどうなるものではない。自らの芯を強く通さねば、剣の重さに振り回されるのがオチである。逆に言えば、その芯が精錬され、強靭であるほどに流麗にこの重さを扱える、ということでもあった。
この「目安」として良く知られるものに、大剣のその姿が使用者の芯に「映されている」かどうか、というものがある。真っ向に構えた大剣の背に顕われる強靭な直線を自らの体の芯に映してみせる。その相互の映り具合の良し悪しは、その大剣をそのハンターが使いこなしているかどうかを見極める大事とされていた。
そして今、村長の目の前でクロ−ムデスレイザーを手に真っ向をとるビッケの姿は、長年様々なハンターを見てきた村長の記憶にもほとんどないほどの「映え(はえ)」を示していた。
…いや、まったく同じ印象を持つ記憶がひとつだけある。
「まるで母殿の生き写しじゃの…」
自然と、そう言ってしまっていた。
「やはり、そうですか」
ビッケは納得した様につぶやき、剣を下ろした。
「この大剣に限らず、どの武器を取ってみてもそうなのです」
「まるでおまえにあわせてあつらえた様だ、ということかの」
「…というより、もっと先のあたしにあわせてあつらえてある、という感じでしょうか」
「ふーむ…」
確かに、例えばつい先週のビッケは大剣を手にしても先ほどの様な「映え」を示すことはなかった。武器庫の武器の調整にビッケが自分をあわせた時、彼女の身体感覚は母がかつてそうであった所へ引っ張り上げられた。そういうことらしい。
…それが目的だったのだろうか。
カエラは自分の娘を自分に追いつかせるために、この武器庫を残し、今開放したと、そういうことなのだろうか。
「おそらく、そうなのでしょう」
ビッケはつぶやき。少し目をつむった。
気を抜いたら泣いてしまいそうなのだ。
「そうか」
村長もそれ以上は何も言わず、細めた優しい視線でビッケを見守り、そして空へ目を向ける。
(たまげたもんだの)
長い長い年月を生きてきた村長も、今回ばかりは驚きを隠さなかった。
(遠い地にあってなお、わが娘を導くか。『黒の継承者』よ)
これが「人」のやり方ということか、とその目を遠いヴェルドのある方へ向ける。雲間から一筋の日が差し込み、彼方の地を照らす。
その光景が、新しい狩猟へと一歩を踏み出すこの小さな娘の未来を祝福するものであることを、村長は願った。
諸注意
・狩りの受注
ギルドマネージャーが直接ことにあたっているのは、まだGクラス受付のための手配がすんでいないため。当然ここポッケ村ではビッケひとりがGクラスハンターとなるわけです。
次の狩りあたりからは専属の受付嬢(シャーリー)が登場するでしょう。
クエストの受注書はゲーム内と少し変えてあります。具体的な地名が出せそうなものは出そうかと。また、依頼人も「普通な」表記で。