フラジャイル・前編
初出:2008.07.04 HUNTER's "B" LOG
結論を言うようだが、「弱さ」は「強さ」の欠如ではない。「弱さ」というそれ自体の特徴を持った劇的でピアニッシモな現象なのである。
松岡正剛 『フラジャイル』
はじめに
まず最初にお断りしておかなければいけないのは、これから書かれる一文は「アタッカーハーフ」を軸として展開されるものだ、ということです。しか し、このアタッカーハーフという名称を立て、構想し、研鑽を続けておられるのはHUNTER's LOGではありません。これはMHdosブログ『サフィニア邸で休日を』のさふぃさんによるものなのです。
HUNTER's LOG on PORTABLEではさふぃさんのご厚意によりこの名称を使わせていただいていますが、なんと言っても浅学非才のHUNTER's LOGがやってますことですんで、そもそも少々ズレているところもあるでしょう。そのあたり「まぁ、いーんじゃない」と大目に見ていただいてるわけです が、流石に今回はそうお気楽なズレではすんでいないかもしれません。
ということで。
もとより「モンスターハンター」へひとつでも多くの視点を、という試みではありますが、その用語・用法・解釈に関する一切の責任はHUNTER's LOGにある、という点を心に留めて、以下お読みください。くれぐれもHUNTER's LOGによる勝手な解釈を通してさふぃさんのオリジナルを見ることのないよう、重ねてお願いいたします。
サイト版への注
ブログの方へこれが載ってから半年以上。ようやっとサイトへの転載です。
いやあもうね、あれこれ違う方向のアプローチから何度となく練り直して改稿してみてもどうも初回が抜けねえ(笑)。あたしは見当違いをつついてんのかしら、と少々途方に暮れつつあったのですが。
結果的にはほぼ初稿のままの掲載となりましたが、ややも独自路線を突っ走ってるきらいのある一文を了承してくださった本家のさふぃさんにはもう頭が上がりません。とか言いつつ調子に乗って最後にこの間進捗のあったいくつかの思考の断片を「フラジャイル・補遺」として書き起こしていたりもするんですが…。
強者の不在
ことの発端はあいも変わらない日々の狩り模様の中で突然訪れた疑問によります。ここしばらくは「HUNTER's "B"LOG」記事にある様に、相当スチャラカな…百歩譲って天真爛漫なハンター「ひめ」を、このブログを書き綴る中の人の操るところの「ビッケ」が「ア タッカーハーフ」の思想を片手剣に応用しつつサポートしていく、という狩り模様が主立っていたわけです。
これがP2Gでも最難関のレベルとなるG☆3ステージに来まして「なんでクリアできていくのか」という疑問に至ります。無論これは技術的な疑問では ありません。ひめがスチャラカハンターでも難関をクリアできる様に、と数ヶ月に及んで工夫してきたわけですし、それがうまく行ってる、というだけのことで すね。ここで問題となったのはただ一点。「強者が不在である」ということです。
「黒き角竜の猛攻」を突破したとき、あるいは「黒のカタクラフト」を突破したとき、そこにはそれを突破するに足る力を持った「強者」がいなかったの です。ひめをひとりでこのステージに放り出したら数分と保たないことは記事の中でも見られる通りです。では、その分ビッケの猛攻でクリアしてんのかと言い ますと、これがそうではない。そもそもその条件で回復支援をやりつつソロ討伐並みの攻撃パフォーマンスを発揮するなど無理な話なのです。
ひめが強者でなく、ビッケが強者でなく、では何がクエストをクリアさせているのか。二人の協力がそれに代わる火力に達していたんでは?と言ったらそ の通りなのですが、どうにもここにはそこで停止してはいけない「何か」があるのです。それは、そもそも「ビデオゲーム」がどんなものであるのか、という根 本にまで遡って考えるべき「何か」なのです。
ゲーム
ビデオゲームに限らず、ゲームというのは一般に「白黒つける」ことを目的に行われるものです。勝利条件を満たして勝者になる、これが目的ですね。
より広く「遊び」を分類するならば、その幅はもっと大きくなるのですが、ゲーム、ことにビデオゲームの分野はその遊びの分類のうち、この勝者になることを目的とした「競合」に特化した分野である、あった、と言えましょう。
特にファミコンこのかた家庭用ゲーム機が「一人遊び」の代名詞であった時代は事実上「それしか」ありませんでした。そして、ネットワークにおいて複数の「主人公」が同時に同一の状況に当たる今においてなお、その流れは主流です。(余談ですが、現在ネットゲーム上で問題になっているコミュニケーション能力のギャップとは、この「一人遊び」の延長で参入している人とそこから脱している人とのギャップです)
この「勝利条件を満たした勝者」を前項で「強者」と称したのです。そして、ひめ&ビッケがG☆3に挑み突破したとき、そこには勝利条件を満たす勝者が不在だったのでした。
クエスト成功は討伐によってそれが確定するわけですが、その「討伐」が何によってもたらされるかというならば、これはそれを可能とする立ち回りを中心とし た技能・装備の充実である、とまとめることができるでしょう。ソロ討伐という限定的な条件を持ち出さずとも、PT戦において個々のハンターがそれなりにそれを可能とする技量を持ち合わせていることが「勝利条件」である、という感覚に不審はないでしょう。
ですが、「それなり」から遥か遠いひめはもとよりビッケにしてもアタッカーハーフとしてクエストに関与する、という時点で、その資格からは外れています。後述しますが、アタッカーハーフとはそもそもスタンドアロンで狩りを収束させることを放棄したところに立つスタイルだからです。
これは一体どういうことなのか?
ことによるとアタッカーハーフとはモンスターハンターが「ゲームとして提供する勝利条件」を無効化してしまうものなのか。無論そんなことはないわけで、そもそもアタッカーハーフはそのような何かを無効化する、といったアグレッシブなアプローチとは無縁です。
では何なのか。そこでわれわれはこちらの目玉をでんぐりがえすことになります。
モンスターハンター自体が従来のゲームにおいて必須だった「勝利条件(強者の発生)」に依存していないゲームであるのではないか。
さて、大変なことになってまいりました(笑)。
モンスターハンターの古層
最大の焦点は、「分岐」がどのポイントで起こったのかです。腕を磨き、知識を貯え、装備を充実させ、勝利者たる資格へ到達する。これは現在のモンスターハンターでも当然のハンターのあり方です(PT戦でも)。
これが、モンスターハンターが発売された後、ハンター達の間で形成された合意であるならば話は簡単なんですが、やはりこれはそうではない。モンスターハンターのゲームとしての作り自体に勝利を目指す様にするバイアスはかかっている(端的に言えば討伐しないと素材が手に入らない)。それならば初めからそう作られてるのでは?となるとこれも簡単なのですが、こちらもそうとは言えないところがある。
無印開発期間に関するインタヴュー記事によりますが、当初プレイヤの見る画面は「コックピットOFF」となる案だったそうです。もとよりモンスター の体力が記号化されないという驚きのゲームですが、さらにはハンター自身の体力もマップも当然他エリアのモンスターの位置も見えない、そういう設計案があったのですね。
ここでの藤岡氏の発言に注目ですが、(そのような原型としての状態から)モンスターハンターを現在のユーザーがゲームとして認識して「遊んでくれる」レベルに落とし込む必要があった、と言っているのです。
この一事がすべてではありませんが、どうもモンスターハンターは従来のゲームに比して異質すぎる部分を抑え、ゲームらしく落とし込んで出てきている。そういった部分がある。
言い方を変えると「勝利条件」の確たる存在の重視というのは、要するに結果の重視です。結果がはっきりしないとゲームになってくれない。それに対して予想されるプレモンスターハンターとは、結果がおまけ程度のもの、というモンスターハンターです。流れ行く狩りの経過がすべて、ということですね(経過 には勝ちも負けもない)。
では、そのようなものが分岐以前にはあったとして、落とし込みによってその「ゲームとして異質すぎるモンスターハンター」はなくなってしまっている のか。今われわれの見ているモンスターハンターの「地下」には、そういった「古層」としてのモンスターハンターがあったりはしないのか。
「勝利条件(強者の発生)」に依存しないモンスターハンター。それはどうもこの「古層」に関係があるのではないか。でも、そんな「ゲームとして世に出るための分岐」以前のモンスターハンターへのアクセスは可能なのか。
わかりません。と、いうのが正直な現段階での感想です。しかし、そこにいたるための「秘鍵」としての可能性をアタッカーハーフというスタイルに見出す、見出そうとする、というのがこの一文の意義です。
では次回。
われわれはアタッカーハーフという武器を手にし、フラジャイルな松明を掲げ、ハンターの「影(シャドウ)」との邂逅を果たすべくこの古層にアプローチしていきます。