フラジャイル・補遺
初出:2009.02.18 HUNTER's LOG on portable
前頁までの「フラジャイル」が書かれてから半年以上が経ちまして、あたしはあたしなりにこの「アタッカーハーフ」をどうすべいかという点に考えを進めてきました。
具体的な詳細はそれ単独のカテゴリを作って将来的に(あたしが本格的なPT戦をはじめるMH3を舞台に…ていうかまだそれやったことが無いというあたしが何書いてんでしょうかね…笑)描かれることになりますが、以下多少なりともヒントになれば、ということで。
閉じた線形状と開いた線形状
ぶっちゃけソロ討伐というのはクエストの円環を閉じてその中心へ斬り込むものであり、アタッカーハーフとは閉じることの無い日々変化する曲線へ接線を引き続けるものであると言えます。
ここを混同してしまうとエラいことになりますな。
何となれば、その日の狩りでその日のメンツでその日の相手となるモンスターで…と「その日の狩りの局面」が「その日の狩りの曲線」となって姿を現して初めて「アタッカーハーフという接線」は引き始めることができるわけですから。
色々な曲線に対応可能な1本の接線というのは想定そのものがキケンです。しかしじゃあアタッカーハーフは具体的な技術の整備ができないのかと言ったらそうではありません。実際できてますしね。が、それを「まとめ」ていくためには以下長々と続く内容を事前に吟味するくらいじゃないと難しいんじゃないかとあたしは思うのです。
アタッカーハーフというOS
「フラジャイル」で扱ったアタッカーハーフ像というのはさふぃさんも言われる様に「広義の」それであり、具体的な狩りの局面に当たっては「狭義の」実際の技術の集積によるアタッカーハーフがあるわけです。
「フラジャイル」の様な広い帯域によるイメージというのはどうしても「易きに流れ」がちな危険があります。雰囲気でOK!みたいな。ま、あたしも目を三角にして「馴れ合いなんてっ、ペッ!」とか言ったりする歳でもないんで、それもいーんじゃないくらいにしか思わない所もありますが(笑)、それが(その雰囲気が)構築可能である高度な技能の発生を妨げたりしてしまうのはよろしくない。
しかし一方で「狭義」のアタッカーハーフの技術についてやたら「まとめ」をかけようとすると大変難しい状況に入り込む危険があることは上の項で述べた通りです。
これをあたしは「広義」「狭義」というカテゴリではなく、より実際的な連絡を持った階層構造であると考えました。言うならば広義のアタッカーハーフとは「アタッカーハーフというOS」であり、狭義のアタッカーハーフとは「アプリケーション」である、と。
具体的な個々の技術がアプリケーションであるならば必ずしもそれがアタッカーハーフという「全体像」へ直結した「まとまり」を持つ必要はなくなります。逆にOSとしてのそれを考えるならそこにいきなり具体的な有効性を問う必要も無い。しかしそれは双方が切れている概念と具体というわけではなく前面と背面の関係にあって常に両立している。
本編で「アタッカーハーフ。それは「狩りの手法」ではありません。それは「モンスターハンターの手法」なのです」と書いたのはこのスタイルがまさに「狩りのOS(の、ひとつ)」と言えるほどの水際立ったまとまりを形成することを示唆したものですが、多分、これは可能でしょう。
理に立ちすぎると病むとこがあり、情に棹を差すと流されるきらいのあるアタッカーハーフですが、ここで「OS−アプリケーション」というクールにシステム論的な視点でその全体を描き出してみるというのはありだと思います。あたしはちょっとこの方向からやってみることになるでしょう。
行の位
温故知新じゃないですが(笑)、上の「アプリケーション」としての個々の技術を構築する上で重要な点を少々古めかしい結構の上に描いてみます。以前ブログで「上達」という点に関して「真行草」を用いて解説したことがありましたが、ここでは特に「型(カタ)の形成」という点について再度論じてみます。まずはその「真行草」とは、という点を。
「書」に楷書・行書・草書とありますが、その楷書は一名「真書」といい、「真の位」の意であることを表します(同様に「行の位」・「草の位」)。書に限らず古典芸能一般にある仕組みですが(例えば「序・破・急の位」などもこれにほぼ同様)、表し易いので書をあげてみました。少々分かり難いかもですが、先にこの全体を概観してみましょう。
この真の位に見られる最大の特徴は「時間の捨像」です。真書(楷書)を見ると分かる様に、そこに表されているのは文字の「構造」です。現実的には「書く」という行為そのものに時間が流れるので筆運びはあるのですが、究極的には時間の流れを止めたところに浮かぶ「型(カタチ)」そのものを表しているのですね。
そして、その「型(カタチ)」を連続させ、「予約された時間内」で履行することを「行・行の位」と言います。これが「型(カタ)」ですね。だから型(カタ)の稽古は「修行」と言うのです。「予約された時間」というのは、あらかじめ何が行われるか決定されている状態を表します。
一般に書における行書は「ちょっと崩れた字体」くらいに見られていますが、そこにある本意は上に述べた様に文字から文字へ時間を意識的に流して筆を運ぶこと、です。しかし、この「流す」というのも難しいものでして、ただ流せ、と言われても中々流せるものではありません。そこで、「流れていく方向」をあらかじめ決め、それをトレースするのですね。これが行の位です。
最後が草の位。
これは予約されていない「時間そのもの」へのコミットを表す概念です。予約というと時間に関するもののようですが、実は予約とか時間割とかは、おしなべて「時間を空間に転写」して表すところに出てくるもので、時間そのものは予約も分割もできません。もとより「時間の本質には過去も未来もない」のです。
あんまり小難しい知恵の輪をここで持ち出しても詮無いので、ここではあらかじめどうするか・どう書くかを予定しない(予定という概念が無い)のが草の位である、草書である、と思っていただければ良いでしょう。厳密に言えばお手本をもとに書いた「草書」、もっと言えば書く前にどう書こうか決めてしまった「草書」は、実のところはすべて「行書」なのです。
さて、上の「閉じた線形状〜」で述べた様に、アプリケーションとしての個々の技術を「まとめる」事の難しさとは、この「草の位」という現実時間そのものを相手にしようとする所から発生します。ソロ討伐というのはクエストの条件を「閉じて」それ全体を「行の位」化することで、その全体を描き出すのですが、日々顔ぶれの変わるPT戦を前提としたアタッカーハーフはそこを「閉じることができない」。
しかし、これは「閉じることができない」方が現実の当然であって、上の真行草の結構もそのために存在しています。すなわち、行の位とは、あるいは型(カタ)とは現実のひな形ではないのです。型はああしたらこうする、こうしたらああする、という表現をしてはいますが、それは現実でああなったらこうするのだ、と言っているのではない。いく通りもの現実に共通する「一筋」を取り出し、それを複数圧縮した高密度情報体として形成されるのが「行の位」なのです。行の位のパフォーマンスは直接現実で履行するには高密度すぎる。だから「予約された時間」の中でやるのです。
これが型を形成する上で最も重要な点です。この仕組みに立って初めてそれは理念と具体を結ぶモノになりうる。
このことは「アプリケーション」としてのアタッカーハーフの技法を構築していく上できっと重要となるでしょう。行の位にまで抽象化を進めて初めて無限の振幅を持つこの技法群は「まとめ」の対象になるのだと思われます。