昔々ココット村で…2
a side story ジゴロウ・リオ篇
「ジゴ爺!」
いつものように勢い良くジゴロウ宅にとび込んだリオだったが、部屋はもぬけの殻。奥の水場の方にも気配はない。主は留守のようだ。
窓は開け放たれ、部屋の隅にはこの庵の主の愛用するヘビィボウガンが立て掛けられている。ちょっとした採取へ出かける際にもジゴロウはこのアルバレスト改を背負っていくことをリオは知っていた。どうやら狩りへ出かけたわけではないようだ。
リオはついこの間かぞえで6歳を迎えた少年だ。ココット村に住んでいて、やや村はずれの山間にあるこのジゴロウの庵に足しげく遊びにくる。もっとも本人に言わせれば「ハンター修行」に来ているのであって、実際ジゴロウに武器の扱いの手ほどきを受けてもいた。
「畑かな?」
リオは呟くと、また勢い良く庵をとび出していった。
山の空気は少し湿り気を帯びている。雨のもたらすそれではなく、山の樹木が生い茂る息吹のようなものだ。初夏を迎えるこの季節には、この活き活きとした湿り気が山全体に充満しており、リオはその空気がとても好きだった。
わけもなく機嫌が良くなったリオは、庵の裏手にのびている小道を駆けていく。やわらかな栗毛の髪に、すでに夏の雰囲気をただよわせつつある日の光が木漏れ日となって降り注いでいた。
ジゴロウの庵の裏手には小さな尾根がはり出してきていて、その尾根を越えた先はささやかな谷になっている。そこにはまだ渓流と呼ぶには幼い清水の流 れがあり(時々小さなカニがいるくらいだ)、ジゴロウの生活を支える水資源となっていた。そして、その水汲み場から下流へこじんまりと切り拓かれた一帯 が、ジゴロウの畑である。
「肥えた土とは言えんのでの」とジゴロウも言う通り、大振りな作物が採れることはなかったが、ジゴロウの食卓をうるおす野菜の何品かがここで育てられていた。
今、畑のわきには一人の壮年の男が腰掛けている。白髪を後ろに束ね、鬢をたくわえたその相貌は、隻眼であることも相まって非常に精悍に見える。この畑の主のジゴロウだった。
普段は黙々と一人で畑仕事に精を出すのが常のジゴロウだったが、今日は客がいるようだ。その客は、大きな(そう見える)麦わら帽をちょこんとかぶっているのだが、その麦わら帽には穴があけられており、とがった耳がとび出ている。ジゴロウは彼(?)と何やら話し込んでいた。
「この肥料はもう少し寝かせた方が良いニャ!」
「そうかの。もうひと月ほどここに寝かせてあるのだがの」
「これは草を食べるモンスターのフンでおとなしいニャ!飛竜のフンとは違うニャ!」
アイルー族が人語を学んでかなりの月日が経つというが、根本的に思考回路が人とは違うので、意志の疎通と言うのもなかなか難しいものがある。「…お となしいフンとな?」とジゴロウはやや考える。草食竜のフンは中の栄養素が低いので、少し長い時間発酵させてから使う方が良い、ということだろう…という 具合に「翻訳」していく。
「では、シモフリトマトの花が咲いたらつこうてみるかの」
「そうするのが良いニャ!でっかい実がつくニャ!でもトマトよりもサシミウオの方がうまいのニャ!」
「ほっほっ、ぬしらにはそうじゃろうがの」
ココット村を出て山中に庵を結んだ後、ジゴロウはこうして畑仕事なども始めたのだが、もとより門外漢である。そこで、ココット農場を見ているアイルーに頼んで、時折こうして色々と教えてもらっている。
この胸に三日月模様の入った毛並みのアイルーは名をチュプといい、もう長いことココット村に居ついている。どうもアイルーも人間を「見る」様で、チュプは ジゴロウに一目置いているようだった(いまひとつ表情がつかめないのだが)。それどころか、ジゴロウに農作業を「指南」してることをたいそう自慢にしているらしく、頭にかぶった麦わら帽は、その「証」なのだそうだ。何で麦わら帽子が証になるのかよく分からないものの、本人は、それをたいそう大事にし ていた。
言うことは言った、という風のチュプは顔を洗ったりあたりの匂いを嗅ぎまわったりし始め、ジゴロウも自分の作業に戻ろうと腰を上げる。この時期は雑草の生える勢いがものすごくなるので、少しでも多く摘んでしまいたかった。
…と、チュプの耳がぴくりと動く。続いて水汲み場のほうへと顔をやり、匂いを嗅ぐような仕草をする。ジゴロウも気がつき顔を上げた。軽い足音がパタパタと近づいてくる。
「おお、リオか」
ジゴロウはそう呟くと腰をのばす。
「やっぱり畑だった。あ、チュプさんこんにちは!」
「ニャッ!」
リオとチュプが互いにぺこんとお辞儀をしている。同じような背格好の二人がそうする光景はなんとも微笑ましいものだった。
通例人間の子供をアイルーの前に出したら、耳をつかんだり尻尾を引っ張ったりして、それはもう大変な騒ぎになるものだが、リオは(少なくとも)チュプの尻尾を引っ張ったりはしなかったし、きちんと「さん」をつけて呼んでいる。尊敬するジゴロウが畑仕事を「習って」いるのだからと、リオなりにチュプに 礼を尽くしているらしい。もっともパタパタ動くチュプの尻尾からじいっと目が離れなくなっている時もあるのだけれど。
チュプもチュプでリオのことがたいそう気に入っているらしく、ことあるごとに「リオはいいやつニャ!尻尾引っ張ったりしないニャ!」と言って回っているらしかった。
リオは「チュプさんに魚の採り方を教えてもらった」などとのんきに言っているが、これは結構大変なことである。ジゴロウですらアイルー族の魚の採り方など知らないのだ。そんなアイルー族の「秘伝」が漏れ伝わってしまうほどにチュプとリオは仲良しなのだった。
「ジゴ爺、水汲み場のわきに薬草がたくさん生えていたよ。あれは採らないの?」
「ん、おお、あの薬草か。あれは良いのじゃ」
薬草と一般的に呼び習わされている植物は、ハンター以外にも重宝されており、リオも安全な季節を見計らって両親と森丘に良く摘みに出かけていた。
「あの薬草はわしが植えたものでな。少々調べ物をするために要り様なのよ。リオもあれは摘んではいかんぞ」
「うん。でも何を調べるの?」
リオの目が輝き始める。こうなるともういい加減な答えでは納得してくれない。ジゴロウは「やれやれ、しようのないやつじゃの」と思いつつ、でも少しうれしそうに腰を下ろす。その隣にリオも腰掛け、またその隣にチュプが座った。
やや話す手順を考えるようにジゴロウは黙り、開けた畑の上にぽっかりと開いた空を流れる雲を見ている。リオとチュプもつられて空を見上げた。
「ふむ、薬草という草はとても強い草でな、夏でも冬でも、あるいは雨の降らぬ砂漠でも、一年中雪の降る北の高山でも育つ。以前わしが遠くのラティオの火山へ行った時には、灼熱の溶岩流のわきにまで生えているのを見て驚いたものよ」
「ようがん竜?」
「ん?ほっほっほ、いや竜ではない。そうじゃの、リオは鍛冶屋で鉄がドロドロに熔けているところを見たことがあるじゃろ。あの熱いドロドロが川の様に流れているのが溶岩流じゃ」
リオは驚く。ジゴロウに「見たことがあるじゃろ」と言われたものの、実際はあまりの暑さにぜんぜん近づけなかったのだ。
「とっても暑いよ。そんなに暑い所でも生えるの」
「うむ、生えるな。そして、そのおかげでハンターは助かっておるとも言える。どれほど腕が上がろうとも、なかなか無傷で狩りを終わらせることはできん。強敵を前にすれば、用意した薬では間に合わんことも少なくはない」
「そのような際には狩場に生えている薬草を見つけ出さねばならん。が、どこにでも生える草ではあるが、やはりその土地その土地の気候風土によって生える場所や育ち方が違うのよ。
わしは森丘のことはよう知っておるが、いつも勝手知ったる狩り場で狩りをするばかりがハンターではない」
ジゴロウはそう言いつつ、あたりの山並みをぐるりと見渡した。
「そこでの、この山のあちこちに薬草を植えてみて、その育ち方を比べてみておるのよ。薬草がどのような環境でどのように育つのかを知っておるのは、あるいはハンターの生き死にを分かつかも知れんのだぞ」
リオはもうそろそろ理解が追いつかなくなってきていたが、ふとココット村の村長の姿を思い出した。村長さん、あの時何とか言って…。
「村長さんが…」
「ん?村長がどうした」
「村長さんが、ハンターは戦士ではないって。自然を…なんとかする…たくむ?たく…?」
「自然を十全に知る匠、かの」
「そう、それ」
「ほっほっほ。あれはあのジジイの口癖のようなものでの、わしもずいぶん聞かされたものよ。昔はな、何を言うこのジジイ、とも思った。わしも、モンスター と渡り合う己が腕のみがハンターの唯一の拠所だと思うとったな。そう思い、リオレウスを倒し、モノブロスを倒し、あの巨龍をも倒した。それはそれで良いのじゃが…少なくともわしの狩りはそこではおわらなんだ。
わしはやつらの何を知っているというのか。巨大なモンスターどころではない。わしはランポスがなんであるかすら良くわからん。ランポスどころか薬草がどういうものかも知らんのじゃ」
リオは言葉がない。何でも知っていると思っていたジゴロウが、自分は何も知らないのだと言っている。しかし、リオの不安をよそに、ジゴロウはとても楽しそうな顔をしていた。
「リオよ、人は良く知りもしないものを狩ったり摘んだりして良いものだろうか。わしは知りたい。己が成してきたこと、成していることが一体なんであるのか。
自然を十全に知る匠…とは良く言ったものだの。となるとあのジジイの思う壺というのが少々癪じゃがの」
「村長さんは知っているの」
「かもしれんな。竜人族は人間よりはるかに長く生きているという。多くの知恵を蓄えておる。それでわしのような人間を試すのだから腹立たしいの」
「でも教えてはくれないの」
「うむ。しかしそれは意地が悪いからではないぞ。…いや、あのジジイは少々意地が悪いがの。竜人族はな、人が短命であることをよう知っている。人は人で知恵の得方とその受け継ぎ方を工夫してゆかねばならん。まあ、そんなところであろうよ」
「ふーん」
「人はこのように畑を持つこともできる。このシモフリトマトにしても、本来このような土地にあったものではない。じゃが、自然を見、そこに自らの工夫を差し挟める余地を見つけ、長い時をかけ代々の工夫を受け継ぐことによって今こうしてここにトマトが育っておる。もちろんチュプさんに教えてもろうたおかげでもあるがの」
長い話にコクリコクリと舟をこいでいたチュプは、いきなり名前を呼ばれてびくっとハネ起きた。尻尾の毛が少し逆立っている。
「そうだニャ!トマトは実が赤くなる前に採らないといかんのニャ!」
「ほっほっほ。そうだの」
ジゴロウは笑い、少し遠くを見た。
「わしが今調べとる薬草にしても、有用な事柄が分かるのにどれほどの月日が必要なのか見当もつかん。あるいはもうわしの狩りには間に合わんのかもしれん」
「それでも調べるの」
また少し不安になって、リオがたずねる。でもジゴロウはニッと笑って絶対の自信を持ってうなずいた。
「そうじゃ」
でも…とさらに問おうとしてリオは口をつぐむ。ジゴロウの目がとても優しく自分を見ていることに気がついた。良いのだ、それで。
リオはなんだかとても安心し、勢いよく立ち上がった。
「ジゴ爺!僕も手伝うよ!何をしたら良い?」
「ん、おお、そうじゃの。ではとりあえず水を少し汲んできてくれんかの。のどが渇いたわい」
「うん、わかった」
パタパタとリオが駆けてゆく。
そのリオの後姿を見守りながらジゴロウは呟いた。
「リオよ、おぬしに間に合えばそれでよい。のう、チュプさん」
「ニャッ!リオはいいやつニャ!」
やがてジゴロウは畑仕事に戻り、チュプもあたりをうろうろし始める。
日はまだ高まりきっておらず、昼までもう少し時間があるようだ。
リオの戻った声がし、あたりに笑い声が響く。
まだしばらくは、この山間のゆっくりとした時間が流れていくようだ。