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2008.12.01 サキムラさん

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沙木夢羅の日記帳

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HUNTER's MAIL vol.1

[ 名前 ] サキムラ
[ 件名 ] なんか久しぶりのお便りな気がします
[ 本文 ]
どうもどうも。サキムラです。
珍しくテスト頑張ってました(苦笑)
色々ありましたが、今はとりあえず気を抜いています。

さて、少し前にですが、実際に松岡正剛さんの「フラジャイル 弱さからの出発」読みました。
いくつか納得できる場面がありましたが、分からなかったことのほうが多かったです。
でも、ちょっと前にすごい不完全な風景(夕焼けは黄色、雲は黒、雨は降ったりやんだり、青空も見える)を見ていて、魅力的だなぁ……と思いました。全てが微妙、全て断片、でも美しい。こんな感覚のことを言うのでしょうか?
非常に貴重な経験をしました。

ではまた。

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『フラジャイル』松岡正剛:著
ちくま学芸文庫

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『千のプラトー』
ドゥルーズ・ガタリ:共著
河出書房新社


松岡正剛氏の編著書
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『遊学 I・II』
中公文庫

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『増補 情報の歴史』
NTT出版

HUNTER's LOG

サキムラさんこんにちはー。お久しぶりー。
んまーお勉強大変でしょうということでお声も掛けづらいですがお元気ですか。

わはははは。松岡さんという方は「千夜千冊」なんか十夜分くらいざっと見ても分かる通り大変広域な分野をバックグラウンドとする方なんで、相当あれこれ手を出してきたおじさんでも手を焼きます。

横超、という言葉があります。これはもともとは親鸞さんの言葉で仏教用語ですが、今では特定の分野に縛られずに広く全領域を横断していく学問のスタイルを指したりします(というか迂闊に「支点」を置かないという事)。日本という国の学閥はこれを嫌うのであまりこういう方はいないんですが、だんだん増えてきてはいるでしょうか。松岡さんというのは世界的に見ても桁の外れた横超の方ですね。

そうですね、今回のフラジャイルなんかもそうでしょうが、まだ経験していない現実のあれこれに先行してその内容を広く含む言説に接してしまった際の一例をご紹介しておきましょう。

あたしは20代に中二病気味な方が大概挑んで滑落する(笑)、ドゥルーズ−ガタリの著作に(ご多分に漏れず)取り組みました。具体的には「アンチオイディプス」と「千のプラトー(ミルプラトー)」という書物です。なんと言っても現代を動かしている欲動のエンジンを抽出してのけるといった代物なんで、若造には荷が勝ちすぎるものなんですが、ま、なんとかしようとしたわけです。

このうち「千のプラトー」というのは直列的に論が進む、という通常の形態ではなく、章ごとのコラムが集積しているという感じの一種のハイパーテキストなんですが、あたしはこれをすべてデジタイズして、データベース化しました。そして、それぞれの項目に(構造的に)関係ありそうなニュースをネットから引っ張ってきて毎日貼付けていく、ということを延々やったんですね。著者の頭文字(D/G)をとってデータベース名を「デイジー」としてました(笑)。

おおよそ5年もかけてやったのですが、この間あたしは「千のプラトーという目玉」で世界を見ていた、と言えます。最初にこの書物を手にして読んだ際はなんだかわけの分からないことがたくさん書いてある、という感じなんですが、そこを「アンテナ」として自身に(分からないまま)取り込んでしまい、そこから未見の分野に分け入っていく、ということをやっていたわけです。ひとつの手法として、この経験は大変有意義であったと思っています。

なんだか迂遠なやり方の様ですが、この「迂遠」である態度がフラジャイルであり、横超なんですね。サキムラさんのご覧になった夕方の空。それは単純な言語化をゆるさない混沌を抱えた美しい景色であったでしょう。そこへ直線で言説が直結することはできない。そしてそれはほんの単純な目の前の、例えば石ころなんかでもそうなのです。

だから直線ではなく「横へそれながら(横超)」その周辺を取り巻いていく。周辺にこぼれ落ちる断片を拾っていく。そのようなフラジャイルな視線(アプローチ)が失われた時、そこを「直線で結ぶことができるのだという幻想」に囚われた時に「強さ」というのは発生してしまうのです。

あー、えっと。一体長々とモンハンサイトでナニ書いてんだという感じですんで、最後にちょっとモンハン寄りに引っ張っときましょうか(笑)。

その辺りはあたしがこちらの「フラジャイル」で示したことも同じです。ゲームにおける「強さ」というのはそのゲームの示す結果(勝利)へ直線で到達できるという範囲にまでそのゲームの世界を狭めることによって発生するのです。多分にマッチポンプな側面があるんですね。

そのような仕組みはヒエラルキーを形成しやすく、プレイヤの立ち位置も決定しやすいので意識的・無意識的に望まれているのだとも言えます。が、やはりそれでは始まってクリアして終わる「線分」であることから抜けられません。言い換えれば消費される娯楽のひとつでしかない。

無言の消費がクールであるというのもレガシィになって久しい。高強度の幻想を持って瞬時に「消費」してしまうのではなく、低強度のインパクトながらとことんまで「消尽」していく、やりつくしていく。これもまた松岡さんの示唆するところです。

フラジャイル。このキーワードの示すところはあるいはこのサイトの行く末を暗示するのかもしれません。

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