2009.01.25 サキムラさん
[ 名前 ] サキムラ
[ Link ] 沙木夢羅の日記帳
[ 件名 ] 悩みがないのが悩み、というのと同次元
[ 本文 ]
「すべてがFになる」、読んじゃいました。
まさかこれほどまで引き込まれるとは思いませんでしたよ(苦笑)久々にまじめに小説を読んだ感じがします。
さて、僕には全く分からなかったのが、解説の「森ミステリが与えた衝撃」とか、「違和感」とか、ということ。
何がそこまで衝撃なのか、何に違和感を感じるのか……これがタイトルの理由ですね。(違和感がないことに違和感がある)
ま、ハマってしまったので(今読む気はありませんが)続編も買いました。
ほんとは「笑わない数学者」が欲しかったんですがそこにはなかったです(泣
ま、第二作を買い、本文を読む前に解説だけ読みました。
今度出てきた言葉は、「構造」「動機」最後に、「読者の思考」
最後のキーワードが僕の違和感を払拭してくれました。
僕には一度、本格ミステリで、犯人の名前を書いていない(作者側が犯人を提示しない)小説を読みました。
(東野圭吾氏著 どちらかが彼女を殺した)
それ以来、僕は犯人について、考えるようになっていました。
それは推理ではなく、「犯人はなぜこのような事件を起こす必要があったのか」から犯人だけを考えるという二時間ドラマ的手法ですが、僕が「すべてがFになる」で違和感がなかったのはそれのせいな気がします。
ネタばれになってしまうので詳しく語れませんが、本格ミステリには必ず存在する「明確な動機」が「読者の思考」を逸脱していることによって、違和感が発生した……と考えられないでしょうか?
ここで疑問なのが、「なぜ僕には動機が理解できたのか」ですが、これの答えの可能性は2つですね。
「僕は犯人と同じような思考回路を持っている」と、「実は僕には動機が分かっていない」ということでしょう。後者(笑)だと思えてしょうがないのですが……
非常に難解な小説でした。
もう一度、今度はじっくりと、春休みに読んでみたいと思います。
あー、そういえば少しずつ数学解けるようになってきました。
これはちょっともう少しあげれるかも知れませんねぇ。努力します。
それでは!
『四季』 森博嗣
文庫・新書判は4分冊
HUNTER's LOG
サキムラさんこんにちはー。お待たせでした。
順番に行きますとね、まずミステリ界というのは「本格」というトリックそのもので読者を唸らせるものが標準でありまして、そこに「メタフィクション」という視点を大々的に持ち込んだのが森・京極といった世代ですね。メタフィクションというのはお話を本の中で完結させないで読者の視点自体がトリックを見出してるんだといった様な「問題は問題を問題と思う視点が発生させる」という視点のことですね。
以降これは標準化しまして(玉石混合ですが)、ここ10年くらいは一般的なスタイルとなっております。
ですんで森さんの解説で「衝撃」というのも'90後半の状況を指す表現ですね。
東野さんという方は
良く分からない小説(笑)→本格→メタフィクション→社会派ミステリ界のトップスター
の道を歩んでこられた方なので、先にメタフィクション時代の東野さんを読んでおられたら森さんの初期作品に違和感を感じないというのも、あーそうでしょうねー、という感じでしょうか。
いやしかし東野さんは化けましたね。本当に昔は('80-'90前半)良く分かんねーもの書いてたんですよ、あの人(笑)。で、上の流れで言うと加賀恭一郎シリーズの「どちらかが〜」はどちらかというと本格というよりメタフィクションのものですね。いやメタフィクションを取り込んだものこそが本格なんじゃーとか、新本格なんじゃーとかその辺はまたお定まりの百家争鳴ではあるのですが。
森さんのシリーズはそういった意味ですぐ「動機なんか知ったこっちゃねー」とか言い出しますよ(笑)。あ、犀川−萌絵シリーズは順番に読むのが良いですよ。前作読んでないと分からない、という作りではないですが、あれ、シリーズ全体が強力なひとつの「アルゴリズム」のもとに書かれてるので1作が「式」の1ステップなんです。
でね、あのシリーズは基本エンタテイメントとして広域にヒットを稼ぐ作りにしてあるのだ、と森さんは言ってますが、中核でやりたかったことというのは天才を描き出すことだったとあたしは思ってます。四季ですね。
あの天才の本当の動機は次のシリーズ(黒猫の三角〜)を経て、ズバリそのものの『四季』まで明らかにはなりません。暇を見つけて気長におつきあいください。
お、数学も光の射す方へ(笑)。
まー、受験数学なんてどーでもいーっちゃどーでもいいんですが、その辺片がつきましたらちょこっとプログラミングでもやってみたら面白いかもです。別に専門的な開発ソフトとかでなくても、web標準のJavaScriptとかでも結構ちゃんと計算させられるんですよ。思うんですが、数学の面白さって「実学」でそれを得るには社会でその方の道に進まないと難しい所があります。それをそうでなくて堪能するのにもっとも適したのがプログラミングで遊ぶことなんじゃないかしらと。
あたしもパソ使い始めたころに四則演算の電卓プログラムとか作ったものですが、できた時はカンドーしましたね。すげえ、これ「計算機」になるじゃん、みたいな(爆笑)。