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フラジャイル・中編

初出:2008.07.05 HUNTER's "B" LOG

ここで少し遠回りしまして、「影(シャドウ)」という概念に触れておきたいと思います。毎度あれこれ便利な手がかりを与えてくれることでおなじみのユングの心理学によるものですね。

人がフラジャイルなアプローチをとろうというときに、傍らに寄り添って手を貸してくれるのはこの「影」に他なりません。

もうひとりの自分

人の精神の成り立ちを考えるときに、きわめてプリミティブに(あるいは古典的に)シンプルな像を考えるならば、それは2つのモデルに大別されます。

ひとつは起点(生まれたとき)を「0」として、成長過程でそこから積み上げられてくる、というモデル。

もうひとつは起点を「充足した状態」と考えて、成長過程でどちらかに出っ張るならその分どこかがへっこむ、というモデル。

大まかに前者がフロイト型、後者がユング型のモデルです。それぞれの「派」は後に行って様々な後継者によってより複雑なモデルとして再提示されますが、今は古典的にシンプルな解釈をしておいて良いでしょう。

では、ユングの言うモデルをより具体的に述べます。
成長過程で選択される「自分はこうである/あるべきである」といった自分像。これが出っ張りですね。これを「自我」と言います。そして、これらが選択され たが故に選択されなかった反対に位置する価値の集合が「ヘッコミ」を形成します。この「ヘッコミ」の集合によって内的に形成される人格のことを「影」と言います。

勤勉であるべきである、まじめであるべきである、という人格を表に形成したならば、そんな一生懸命になんなくても変わんないじゃーんという人格が影として形成されている。逆もまたしかり。要するにジキルとハイドです。
この自分の影の人格にぴったりあっちゃうような自我を持った人が目の前に現れると「ムカつくやつ」ということになるわけですね(これを投影と言います)。

この内在する反対人格というのもあながち胡乱なものでもありませんで、強力なショックを受けたり、事故にあったりした際に表裏の人格が入れ替わる現象がまま見られることから、ある程度はっきりと形成されているものと見て良いでしょう。

さらに、この表層人格というのも社会的な要因で構成されるより無自覚的な部位を持ってまして、要するに「男である」「女である」というジェンダーの 選択なのですが、これに対置する反対人格が影の深層に構成されています(「深層」かどうかというの難しいところですが、今はその程度でご勘弁)。これを 「アニマ(内なる女性像)」「アニムス(内なる男性像)」と言います。この辺りは今回の議論ではさておきますが、このような内在する反対人格をひっくるめ たところに見るその人の人格の総体を表層人格である「自我」に対し「自己」というわけです。

さて、ユングの心理学では表層人格がバランスの崩れをこうむった際、この「影」「アニマ・アニムス」といった普段意識されない深層人格を引っ張り出してきて、全体としての「自己」の調整を行うことでバランスを取り戻そうとするわけです。

例によって心理学講座をするわけではないので予備知識はこの辺で。より詳しくあたりたい方は、そうですね、『影の現象学』河合隼雄 講談社学術文庫 あたりお読みになるのがよろしいでしょうか。

ハンターの影

普段意識されない(される必要のない)「影」を意識する必要、手を差し伸べる必要が発生する時とは、表層人格がなにがしかの行き詰まりを受け不安定となった際に、その表層人格「以外の」あり方を模索する時です。表層人格が「その形」になる以前のポイント(未分化の状態)へ一旦もどってみる。その際に 「影」を意識し、それを部分的にでも「取り戻す」ことによって新たなバランスのあり方を探るのですね。

大体この辺りで何が言いたいかお分かりかと思いますが、つまり、これをハンターの共同体構造に当てはめて考えてみる、ということなのです。前回述べた「モンスターハンターの古層」。もしそれがあるならば、それはモンスターハンターがゲームとして発売されて以降に形成されたハンター達の合意、ハンター とはいかなるものかという合意、その合意の形の「影」こそが「その分岐」以前へ至る手がかりとなるだろうからです。

さて、ハンターたるものいかなる道を歩むべきか。
武器を鍛え、防具を設え、立ち回りを工夫し、モンスターの攻撃を見切る目を養い、そしてクエストの要求する強度へ到達する。かくあるべきである、また、かくあろうとする。PT戦においては自分に期待される技能を発揮しようとし、仲間を助け、皆の足を引くことのない様に心得、また、心得ようとする。

われわれハンターは日々そうあろうと研鑽を積んでいるし、「研鑽」何ぞという大げさな心構えと縁の遠いハンターでも、問われるならば「そうあろうとは思う」というところではあるでしょう。

これらは皆、前回述べた「勝利条件」に適合するためのあり方であるといえるでしょう。すなわち「強者」たるべきハンター像です。「分岐以降」のモンスターハンターが勝利条件を満たす、という通常のゲームの枠を提供している以上、これは当たり前のことではありましょう。

ならば、その像が落とす影とはどんなものか。

実はある共同体の影を探るというのは、悲しいかな、簡単です。なぜか。影は「いじめられる」からです。
特に「強者としての表層」に対する「影」は、常にヴァルネラビリティ「攻撃誘発性」を帯びます。いわゆる「いじめて君オーラ」ですね。

モンスターハンターにおいて、どんなあり方がヴァルネラビリティを帯びているか、これはもう言うまでもありません。
曰く地雷。曰く剥ぎ取り君。曰く高台ガンナー。曰くハメ専……。彼らは毎日毎日掲示板で叩かれ、バカにされ、笑い者にされています。日々この話題を追っていると「彼ら」という実体があるのかどうか疑わしくなるほどに語られます。

曰くヘタレである。曰くゆとりである。曰く卑怯である。唾棄すべきである…。

「ダメなハンター像」が最大公約数的に「ヘタレ」と表現されることからわかる様に、つまるところ「ハンター達の影」とは「弱いハンター像」です。

それがなんだというのか、「日々研鑽を積んでいる俺ら」とは関係ねーんじゃないのか。彼らは努力が足りず、向上心がなく……つまりヘタレなんだというだけではないのか。

それは誤りです。

なぜならば、どこで切ろうが表層は影を生むからです。現行の「研鑽を積んでる」ハンター上位50%を切ってまとめたら、その中でまた影と日向に分かれるのです。強さ弱さは差異の必要性によって常に「生み出される」ものなのです。

弱さは切り離せるのか。影は消せるのか。唾棄すべきである…それは一体何に唾しているのか。自分の影にではないのか。

ひとつの結論を述べましょう。
影を失ったモンスターハンターは、単なる「競技」となります。「モンスターハンティング」になるのですね。
弱さを切り離し、古層へのアクセスを封じられたモンスターハンターは、必ずそうなります。

弱さを切り離したら最後、強さを競うしかなくなるのです。

そこでは、かつて述べた数々の「証」も振り仰ぐべき「高み」ではなく、打倒すべき「看板」と成り果てるでしょう。頬を緩ませるべき「広がり」も、単一のヒエラルキーに吸い込まれていくでしょう。…モンスターハンティング。

私は嫌だ。

そんな仕組みは他に掃いて捨てるほどあるのです。
では、どうしたらよいのか。地雷になったらよいのか。高台撃ちをしたらよいのか。それのどこが面白いのか。面白いわけはありません。地雷と笑われるハンターは面白くて地雷と呼ばれているわけではない。

弱い狩り。フラジャイルなハンティング。
そこを見つめなければいけません。そこに耳を澄ませなければいけません。
そこを豊かにしていかないと、もう強い狩りだけでは先へ進めないのです。

でも、心配は要りません。すでにそのための手法は存在しています。
それを見つけてくれたハンターがいます。そして、それを「継承」し、ぴかぴかに磨き上げて用意しておいてくれたハンターたちがいるのです。

アタッカーハーフ。それは「狩りの手法」ではありません。
それは「モンスターハンターの手法」なのです。

アタッカーハーフ

アタッカーハーフとは何であるのか、というのを表面的に言うならば、すなわちそれは援攻両刀のスタイルである、となります。
味方の援護をし、またモンスターへの与ダメも稼ぐ。簡単に言ったらそうなります。

しかし、よくよく考えると(あるいは実際やってみると)これは大変振幅の広い行動ノードを持つものであるとわかります。大体「○○and○○」とい うのは「どちら寄りか」が無限に選択できてしまうので、すぐさま膨大なディレクトリが形成されてしまうシステム特性があるのです。つまり、境界条件が曖昧なのですね。

さらに、このスタイルを持ち出すとすぐさま出る反応が「何故援護をするのか、全面攻撃の方が良いのではないか」というものです。
「援護によって味方の火力を引き出す」という言い分で反論することになるのですが、実はこれ、多分に「方便」です。無論、実際のクエストへ取り組む時はそ の「方便」に従ってその技量を発揮するので、アタッカーハーフの実際上の研究課題はそこに収斂するのですが、そこの是非(存在意義)で頭を悩ますかといっ たら、あるいは上の「線引き問題」で頭を悩ますのかといったら、悩ませません。

なぜか。アタッカーハーフは常に「+1」の位置に立つからです。2人の狩りのパーティーにアタッカーハーフが加わったとき、そのパーティーは「3人パーティー」にはならずに「2人+1」のパーティーとなります。
では、そこの位置で何をするのか。アタッカーハーフはその「+1」の位置に立って、「狩りを調整する」のです。お好みなら演出する、プロデュースする、コントロールするなどと表現しても良いでしょう。

最も良く遭遇する必要性は「難易度の引き下げ」でしょう。この場合、アタッカーハーフは他の2人の「アクター」が活躍するのに適切なレベルにステー ジの強度を調整します。要は「弥七」ですね。助さん格さんが大暴れ、でもふと気がつくと敵が余計に倒れており、その敵には風車が…ということです。

また、常時重要となる役割としては「盛り上げる」というものがあります。無論実効のある高度な技法を発揮して、というのもありますが、「あれえ?こ のモンスター強いよ、ぜんぜん弱んないよ?」という感じでパーティが不安になった時には怪力の種をひと飲み、広域で飛ばしてピキーンと赤い光がみんなを包んで、「攻撃力上げたからバシッといってみよー」とやったりもするわけです。これが実際数字の上でどれだけ有効かどうかはともかく、そういった「演出」で 狩りの中だるみを盛り上げていくことは大変有効ですね。

これではなんだか大変居丈高なポジションのようですが、無論代償は払います。そのような「おいしい」位置をとる代わりに、アタッカーハーフは狩りの主役としての座を捨てます。結果がどうあろうと、あるいは数字の上で討伐に至った火力の半分以上をアタッカーハーフの手が叩き出していたとしても、その狩りの主役はアタッカーハーフ以外のハンターのものなのです。

この自己規定こそがアタッカーハーフそのものであると言えるでしょう。スタンドアロンで狩りを収束させることの放棄。ハーフトーンで低強度な(フラジャイルな)関与を前提とするモンスターハンター唯一の存在。
その規定を外したアタッカーハーフは、おそらく「狩りを壊してしまう」存在になると思います。それは、その技量が上がれば上がるほど顕著となるでしょう。

具体的に言えば、「ど素人が最強の武器・防具を与えられたところでどうにかなるわけではないモンスターハンター」と言われますが、アタッカーハーフの介入はこれを「どうにかさせて」しまいます。これが何を意味するか多くを語る必要はないでしょう。アタッカーハーフとはそのような「毒」にも簡単になってしまえるのです。アタッカーハーフをサポートの亜流くらいに認識しているとなんだか穏やかな存在みたいですが、その実態は「劇薬」と言っても良いくらいの強度を発揮しうる存在なのです。

さて、現行のモンスターハンターというゲームは、それぞれの後半に突入すればするほど「自由度」が下がっていきます。難易度の上昇とともに「強者たるべき」一定の様式に従わなければ討伐に至らない。無手勝流で暴れてどうなるかといったらどうにもならない。そういった「狩りごたえ」と「自由度」の矛盾 がずいぶん前から発生しています。

しかし、ここにアタッカーハーフの手が入ると、その矛盾は霧散します。ポータブルシリーズなら「1+1」、ネット上でも「2+1」の体勢が取れたら、ほぼすべての狩りは好きな様に動ける自由度を復活させるでしょう。
これが、アタッカーハーフが現行のハンター達の影である狩りのあり方を豊かにしてゆく鍵であるとし、「モンスターハンターの古層」へアクセスしてゆくための鍵であるとした理由です。

そして、それを実行してゆく際に必要となる感覚、アタッカーハーフの中核を支配する感覚こそが「弱さへの自発」、フラジャイル・フラジリティと言われる感覚なのです。

だからといって、「弱音を吐くこと」をすすめたかったわけではない。「弱音を聞くこと」を重視したのである。

松岡正剛『フラジャイル』

そうなのです。「弱音を聞くこと(これは純粋に「弱い音」の意です)」。強者の発生が立てる大音響の中に、ピアニッシモで劇的な「弱音」を聞き取ること。
壊れ物注意!(Fragile!)のマークに示される、己の発揮しうる最大限の繊細さを持って事にあたる感覚。討伐という「狩りの積分方向への視線」ではなく、その「経過の全局面を微分」してゆく視線。

では次回最終頁。「フラジャイル」にて、その「弱さ」の持つ力の本質を探ります。

LinkIcon『フラジャイル・後編』

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