2009.02.27 さふぃさん
[ 名前 ] さふぃ
[ Link ] サフィニア邸で休日を
[ 件名 ] お世話になります。
[ 本文 ]
レイアウトに手を加えられるところにお便りを寄せると
また大変になってしまう……とは思ったのですが
この用件を先送りにするのも憚られましたので
初めまして、サフィニア邸のさふぃです。
「フラジャイル」の転載からこの方、アタッカーハーフとは何か……?ということが
少しは形にできそうでウンウンとやってました。
でも今日書いた文章も形にならなくて破いて棄てたところです。
手書きに勝る原稿はないと思いました。手で書いてると、打ち込みたくて
ウズウズしてくるんですけどね。
接線を引き続ける手と、外側に立ってクエストのプロデュースをする目
このあたりは非常に共感しまして
確かに、そういうものかも? と思いながら
先に数編の記事を上げておきました。
確かに前々から師には「支援に答なんかない」と言われ続けて
その中に筋の通る「何か」を求めて回復弾の弾道を筆にした
という感じでやってきたのです。
後から説明しようとしても「そんなこともあるんだな」というだけか
無限に広がるフィールドに迷ってしまうか
どちらかでしかない可能性は高いのですが
いずれにしても、前々から貴重な話の種をログさまからいくつも
頂戴しておりますし、これからも目から逆鱗なことも
たくさんあると思いますので、これからも
たくさん参考させてください、とお願いにあがった次第です。
これからもよろしくお願いします。
HUNTER's LOG
さふぃさんこんにちはー。お待たせいたしました。
おお!確かにこちらでははじめましてですね。あー、まったくね。ふとわれに返るとあたしはこの道門前の小僧どころかまだ始まってないじゃん的ポジションであるという…(笑)。
んが、始まる前にこんだけごちゃごちゃ文句たれる輩も珍しかろうということで。今回はさふぃさんご来店(?)記念で盛大なぶっちゃけバージョンでお送りいたします。単純明快な話とやや面倒なお話と複雑怪奇なお話がありまして、まずは単純明快なやつから。
境界線上のハンター
さて、その輪郭を描き出すことの難しいアタッカーハーフですが、何を隠そうあたしはその落しどころみたいなものに関して結構明確なイメージがあります。
岳(9)
石塚真一
小学館ビッグコミックオリジナル
丁度最新巻が出た所でタイミング良い(笑)。
この野郎がね、そのイメージなんですよ。と、言いますよりも、この作品の主人公である島崎三歩の様なハンターにどうやったらなれるか、と考えていたらアタッカーハーフを発見した、という順序だったりします。
この三歩というのは「山バカ」でして、山ばかり登ってきた。といってもそのスケールはでかくてチョモランマ・K2辺りは言わずもがなという、世界でもトップクライマーに入るんじゃないのという経歴です。が、本人は山に登れりゃあとのことはどうでも、という奴なんで、一通り世界をめぐった後日本の北アルプスにこもって暮らしている。
山がすみかというのも文字通りでして、暖かいうちは日々テントで、雪が降ってきたら雪洞で、と本当に「住所・北アルプス」な暮らしなわけです。
で、何をするのかというならば救助をするのです。北アルプスで何かがあれば、「山に住む」三歩は警察の救助の誰よりも素早く対応できる。夜であれ雪であれ、警察の救助隊からの無線が入るや否や三歩は走り出すのです。
その対象の人(要救と言います)は、ちょっと足をひねっただけのこともあれば、高所から滑落してクシャリとつぶれてしまった遺体であることもあります。三歩に背負われて血を吐きながらも一命を取り留める人もいれば、その背中で絶命してしまう人もいます。それは漫画の中で等しく描かれ、そして三歩は(生きていようがなかろうが)彼らに等しく声をかける。「よくがんばった」と。そして、救助ヘリで運ばれていく要救達に声をかけるのです(時には運ばれていく遺体にまで)。「また山へおいでよ」と。
あたしはそういうハンターになりたかった。
三歩は「助けてあげて」いるわけでもなく、山に「登らせてあげて」いるわけでもない。ただ、「山はすばらしい所だ」とそれを見せたいだけな訳です。そこからじゃ良く見えなかろうというなら担いで登る。至ってシンプルな奴です。
あたしはアタッカーハーフなら狩り場においてそれができる、と思いました。このポジションならどんなハンターに対しても「また狩りへおいでよ」と言えると思った。そして、それはそれほどあやふやな立ち位置とは思わないのです。「フラジャイル」においてそのあり方が「ハーフトーンである」と述べ、またかつてアタッカーハーフとは半ばゲームシステム側の存在である、と述べたのは、この三歩の「山の側から→登って来る人たちへアプローチする」という立ち位置を底にしたものです。
山 − 三歩 − 登山客
狩り場 − アタッカーハーフ − ハンター
ということですね。双方ともに境界線上に立つ。
「岳」は山登りをする人にはたまらない漫画ですが、登山に興味がなくてもきっと面白いと思います。何よりアタッカーハーフのイメージを追っていく上で、少なくともあたしはこれ以上のモデルを知りません。なんだか賞とったりしたみたいで急に名が知れてきた作品なので、多分最新巻あたりはコンビニとかにもあるんじゃないでしょうか。基本1話完結のお話ですので、よろしければ是非。
ワキ(広義と狭義)
お次はやや面倒なお話。
お能のお話をしましょう。
能はシテとワキがその式次第を進めます。何の式次第かといったら鎮魂ですね。さまよえる魂である所のシテの魂を鎮める、あるいは鎮まる、そしてその様子を観衆に感得できる様に設える、この式次第を奉納するのが能です。
表向きはシテ(お面をつけている方)が主役でワキ(素顔の方)が脇役なんですが、重要なのはワキです。彼が式次第をコントロールする。シテというのはもう「こちら側」の存在ではないのですね。「あっちの存在」を人が演じているだけです。が、ワキは人でして(大概坊さんです)、彼は「此岸」の観衆と「彼岸」のシテという理が異なり互いに互いを認識できないものの境界に立って、そこに双方が通じる様にする式次第を打ち立てないといけない。
シテとワキ
しかし、にもかかわらずワキはそこ(演目のコントロール)から自覚的に足を外さないといけない。ワキがシテを鎮魂してしまう、というのではダメなのです。シテは自然と鎮まらねばならない。その様を観衆に見える様にワキはその道筋を整え、上位にあってはその整える姿すら見えないほどでないとならない。実際シテの姿が明らかになるにつれ、ワキはその姿を消していきます。根源の能とも始まりの能とも能でない能とも言われる「翁」ではそもそもワキが存在せず、観衆はシテ(翁)の神舞う姿を見るだけです。
お能というのも語り始めたらきりがないので、ここも参考書籍をあげておきます(平易に書かれたものですが、迂闊な専門書よりよほど優れて本質を突いているものです)。
お能の見方
著者名:白洲正子・吉越立雄/著
新潮社
ワキが「ワキという名の主役」をやってしまった能は能ではないのです。
一体何の話かというならば、脇役というのは煎じ詰めればそこに行く、という話です。わざわざ例えてわかりにくくなりそうなモノを持ってきたのは、そのくらい昔から完成する地点まで「境界線上の存在」への取り組みは成されてきたのだ、ということを言いたかったのです。
能に限らず「このポジション」というのは千年前から試みられてきています。おそらく、少なくともあたしの言うアタッカーハーフはこの系譜に連なるものであるでしょう。
この見通しが、あたしが「中帯域のマトリクス」などで、いわゆる支援一般をPTプレイの中に位置づけ、「アシストプレイ(内実はアタッカーハーフそのものです)」をはっきり分けて考えるべきだとした理由です。やはりこれは前提とする枠組みのレイヤーが違う。そしてまた、丁度「ソロ討伐」と「ソロプレイ」を分けたのと鏡像関係になりますね。
さふぃさんの仰る通り、このような「煎じ詰める」レイヤーを基盤とするアタッカーハーフはおいそれと人にお勧めするものではないでしょう。
で、ですね(笑)。
あたしは「広義」と「狭義」の別をここで使いたいと思うのですよ。「狭義のアタッカーハーフ」とは、いずれワキに行き着くことになる境界へ自発する存在と技能全般ですね。そして「広義のアタッカーハーフ」というのはそこから得られる知見をより一般的なPT戦で活用していくものであると。
その成立すら疑わしい狭義のアタッカーハーフと、もっとみんなにお勧めしたいアタッカーハーフという矛盾はこの辺りに立ってみて安定するんじゃないかと思っています。
複雑系
最後に複雑怪奇なお話。
文字通りでして、あたしがさふぃさんの支援論を目にしてしばらくの第一印象とは「これはモンハンの中の複雑系じゃないのか」というものでした。
複雑系とは多数の要素が関係し合うことによって、その相互の影響が膨大となり、初期条件から還元的に未来を決定できないシステムのことを言います。しかし何の見通しも立たない完全な混沌ではなく、そこに一定の流れ(アトラクター)が生み出される模様を捉えて言うものでもあります。
中でもあたしがアタッカーハーフを目にして即座に連想したのは免疫システムでした。単純にシステムと言った時、それは対応策の一欄であるとも言えます。あらかじめプログラミングされていない事象には対応できない。
しかし、免疫システムというのは「未知の」侵入者に対応するシステムです。免疫システムはその未知の侵入者に攻撃を受けた後に自己組成を「組み替えて」対応できる様に全体を書き換えてしまう。多田富雄はこれを「スーパーシステム」と名付けました。
免疫の意味論
多田富雄 著
青土社
また、このような動的システムとしての生命の有り様を最初に指摘したのは清水博「生命を捉えなおす」でしょう。ここに見る「動的秩序の形成」とは生命現象が持つ複雑系の面目です。それはリアルタイムに創発して行く。
生命を捉えなおす
清水 博 著
中公新書
生命は最適解を求めようとしない。生命には「最も良いという発想がない」のです。これはアタッカーハーフを考えていく上で最大の焦点となるでしょう。
いやもうかなりゲンナリされてますでしょうから詳細は上にあげた著作を参照してください、ということで(笑)、そろそろ切り上げましょうか。
日本の武術には「後の先」という思想がある。実際の型もそうできている。敵を先に働かせてこちらはそれを受けて勝つ。受けて、というのはブロックして、とか受け流して、ということではなく、敵の動きがこちらの動きを「作り出す」ということです。免疫システムの様に外敵によってこちらがクリエイトされるわけですね。中国ではこれを「捨己従人」と言います。
アタッカーハーフにおいてはこれが「敵」ではなくモンスターと仲間のハンターの一連のやり取りとなるでしょう。
面白いことに上に述べた多田さんは「能」に傾倒し、清水さんは古流の「柳生新陰流(剣術)」に傾倒された。実際著書の「生物学」の本の中にお能や新陰流が出てきます。と、言いますかあたしがそこに触発されてアタッカーハーフ論に古典芸能の結構を入れ込んでるんですが(笑)。
あたしが「補遺」でアプリケーションと言ったものは、大体この路線から構築されていくことになると思います。アプリケーション≠実際のパフォーマンスというのが、この辺の実際のパフォーマンスはその場でクリエイトされるという見通しからきています。「真行草」で述べた「型」がアプリケーションにあたりますが、それも同様の意ですね。
と、いうことで。
長々となっちゃいましたが、強力に指摘したいことというのはひとつ。アタッカーハーフは孤立無援というわけではないということです。これまでの人の文化の中にその系譜はあります。ですんで、その内必ず何かは立ちます。そしてそれを「三歩の様な」山バカならぬ狩りバカのポジションに落とし込めたら万々歳だと思うんですよ。あたしはこれをそれほど夢物語だとは思ってません。
ていうかあたしにそれが夢物語じゃないという希望を抱かせた当の本人がさふぃさんなんですけどね(笑)。