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ドラゴン:日本

雑記帳:た行

意外と地味なのが日本。地名に竜・龍の語が入ることの多さにかけては世界随一なんじゃねえ、という感じではあるのですが、あまりファンタジックに強力な「龍」というのはヤマタノオロチくらいしか出てこない。
昔話に龍に化けて天に昇ったりなんだりと出ては来ますが(この辺りは中国から輸入された龍のイメージですかと)、全体的にはあまり重要でない感じ。天皇や将軍が龍を表立ってかたることもない。この辺の「たくさんあるけど地味」であるのは、中国由来の龍と、その下にある縄文由来の蛇信仰の関係があります。これが重要。

ファンタジーに直結するドラゴンの影こそ薄いものの、日本にはその古層に眠るすべての龍のイメージのもとになったかもしれない太古の蛇信仰の名残がたくさん眠っているのです。

蛇信仰  

日本には古くには蛇信仰がありました。いやもう一番あがめられていたクラス。特に縄文時代には広く信仰されていた様で、むしろそれ以降の蛇信仰はその縄文文化の名残ともいえます。

この「蛇」への信仰というのは場合によっては人類が現在の「頭の使いかた」を発動させた氷河期まで遡る(『狩猟と編み篭』)。これは「ドラゴン:トップ」でその時期(3万年前?)ベーリング海峡を渡っていった人々の末に蛇竜信仰(ケツァルコアトル)がある事を指摘した通り。世界中の龍へのイメージは突き詰めればすべてこの旧石器時代からの蛇信仰に行く可能性が高い。ですので、この日本編では特にこの「蛇信仰」を重視して進めましょう。

まず、そうですね、例えばお正月の鏡餅。あれは丸くて鏡みたい、というわけではなくて、蛇がとぐろを巻いた形を象った物です。「かが」とは蛇の古称。「ヤマカガシ」の名に残ってますね。つまり鏡餅とは「かが身」餅。蛇は収穫した穀物を食い荒らす鼠を遠ざけるので倉に飼われたり、その脱皮のイメージから永続するライフサイクルの象徴とされたのです(『蛇』)。

で、蛇神のイメージそのものはもっとスケールがでかい。各地にある円錐に見える山。これは神奈備型といわれる山でして、どこでも神の降り立つ山として尊ばれる。で、この形の山はそのような中央発の神話が整備される以前は、ありゃあみんな大蛇の化身だと考えられていた。天皇家発祥の地の三輪山のオオモノヌシが有名ですが、山を七周半してとぐろを巻いているという。要は山の形が蛇のとぐろだということです(『蛇』)。

これが表舞台から消えたのは大和朝廷がその征服過程で土着の信仰の象徴に「蛇」をあてたため。スサノオのヤマタノオロチ退治です。また、平安初期に伏見稲荷が勧請され、稲荷信仰が始まりましたが、これが従来の蛇信仰を「上書き」して行ったのでは、というスリリングな研究もあります(『狐』)。さらには蛇はその頭の形状から男根信仰と直結するのですが、明治文明開化以降の日本でこのたぐいの信仰が強力に排除されたのはご存知の通り。よくもまあ、という感じでこの1500年踏んだり蹴ったりだったのが日本の蛇信仰ですな。しかし、注意深く目を凝らせばその痕跡はまだ見えます。

では、この辺りの「失われた蛇神の系譜」を紐解きながら進んでいきましょう。まずは、大和朝廷などの「新しい人たち」によって「蛇」の姿が封じられていく模様を見てみます。それは正に「封神」。古代の蛇神が三つの段階に分けて封じられていくのです。

八岐大蛇  

第一の「封神」が八岐大蛇退治。

先にざっと日本神話をおさらいしておきましょう。

はじめに良く分かんない神様たちがこの世と関係ないとこであれこれしてた様ですが、この辺は割愛。イザナギ・イザナミの夫婦神がこの世を作ります。このあたり「ドラゴン:中国」で述べた伏羲と女媧の伝説の影響が大きいですが、イザナギ・イザナミは特に蛇身であったりはしません(一方でアマテラスの子供まで一貫して蛇身であるという説もあります 『蛇』)。で、このイザナギ(男神)の方から生まれたのが「三貴子」と言われるアマテラス(太陽)・ツクヨミ(月)・スサノヲ(蝕)の三柱。姉弟神です。ツクヨミはほとんど何の事蹟も語られません。アマテラスは卑弥呼がモデルともいわれ、世界的にも珍しい太陽の女神で日本神話の最高神。皇室の大本ともされます。

で、問題児なのがスサノヲ。神々の住む高天原という世界で大暴れをします。神田の畦を壊すは大声で泣き叫ぶはもうしっちゃかめっちゃか。これに困り果てたねーちゃんのアマテラスは天岩戸という洞窟に引き蘢って入口を大岩で塞いでしまいます。アマテラスは太陽ですから当然世界は延々と夜。高天原の神々は一生懸命知恵を絞って何とかアマテラスに出てきてもらうのですが、当然狼藉者のスサノヲは放逐されます。下界(人間界)の中つ国へとおっ放り出されるのですが、ここで困り果ててる人間の老夫婦に会う。こうして八岐大蛇退治の一件が始まります。

話を聞くとこの老夫婦にはこれまで八人の娘がいたのですが、毎年この地におりてくる八頭八尾の大蛇にひとりずつとられ、今最後の娘がまたとられようとしているので困っているのだという。この娘が櫛名田(クシナダ)。

よっしゃまかしとけというわけでスサノヲは急に人が(?)変わった様に奮戦するわけです(ここが重要)。クシナダを櫛に変化(へんげ)させると自分の髪にさし、大蛇に酒を飲ませて酔っぱらわせると腰に下げた天羽羽斬剣(アメノハハキリノツルギ・十拳剣・トツカノツルギ)でもって大蛇をぶった斬ってしまう。オロチの尻尾からは後のヤマトタケルの東征にも使われることになる天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ・草薙剣・クサナギノツルギ)が得られました。
で、無事助かったクシナダヒメと夫婦となって出雲の地に国の基盤を作っていきます。めでたしめでたし。

簡単に話を進めましたが、ストーリー自体は、ま、特に重要ではないのですよ。いわゆるペルセウル−アンドロメダ型といわれる神話の形態の一種です。詳しくは西の龍を扱う際に述べますが、現代のドラゴンクエストまで連なるいわゆる悪い龍からお姫様を奪還する「プリンセス・バック」ですね。これが東伝し、採用されたということです。

しかし、細部の方には面白い点がいくつかあります。天羽羽斬剣の「ハハ」とは先に述べた蛇の古語のカガ(カカ)に同じ。古語ではk音とh/f音は入れ替わる質がありまして母様(ははさま)がカカ様だったりするのと同じ。蛇斬りの剣というわけです。また、娘を櫛に変えて頭にさしていますが、これは下に述べる七夕の機織りとの関係が推し量られます。櫛で髪を梳く行為は機織りの隠喩とされるんですね(『竜蛇神と機織姫』)。

で、より重要なのはこのオロチの正体。神話というのは根本的に「何重にも読める様に」複数のコードを圧縮して形成されるものですんでこの八岐大蛇の話も何重にも読み解けるんですが……。「実際あったこと」を示す面としては、オロチは出雲の地の八本の河川とそこに住んでいた蛇信仰を持つ産鉄民を示し、その制圧により大和朝廷は蛇信仰を封じるとともに高品質の鉄器を得た、ということになります(天叢雲剣に象徴される)。

表向きはその解釈で良いのでしょうが、より注目したいのは「多頭多尾」の蛇。これはその原形がインドにあり、東南アジア一帯に広がっていた「彗星の蛇」の伝承に関わる。このラーフという天を飛ぶ大蛇は多頭多尾で「太陽に挑む」とされる。昔の人は彗星を見て太陽に挑む蛇だと思ったのですね。つまりは日蝕を起こす神・蝕神です。

このラーフのイメージがペルセウス神話と混合しながら日本に伝わってオロチ伝説が形成されたことは想像に難くない。あ、八岐大蛇神話って古くないのですよ。記紀にありますが、出雲地方のオリジナルの伝承を集める「出雲国風土記」にこの伝説はない。縄文・弥生の遺物にも多頭の蛇の造形というのはないですね(『龍の起源』)。このエピソードそのものが記紀編纂にあわせて作られたものであるのでしょう。

さて、このラーフがオロチであるというためのコードですが、これはラーフとスサノヲが共に蝕神であるという点です。蝕神どうしが戦ったらおかしくね?ということになりますが、ここにはスサノヲの根本的な性質が関わってきます。スサノヲは古くからの伝承を持つ神ではなく、大和朝廷以前の土着の信仰が持っていた神を一手に束ねてしまうために「作られた」神である、という性質。

日本の文化というのは古来、何かを征服してもその痕跡を消し去ってしまうということをしない。詳細にあたるとまた大変なのですが、「怨霊」というのを大変怖れる傾向があり、なるべく形を変えて存続させ、何とか鎮めようとする。平家が滅びたら平家物語が書かれ、信長・秀吉が敗れても太閤記が書かれるわけです。新しい神・仏を据えたらその背面に「後戸(うしろど)」の神を据えて、古い信仰も保存するのです。記紀においてはスサノヲがそのために用意された、ということです。

このためスサノヲは一柱としては一貫しない性質を兼ね備えてしまう。天界では傍若無人に暴れ回ったのに下っては国作りの基礎を担う英雄になったりする。挙げ句冥界の王になったりと、そのままではワケワカラン神様なのです。

なので、ステージチェンジの際にスサノヲは自身の「前」の神格を殺して「次」のステージの役割へ向うことになります。お話の中で「人の変わった様に」のところが重要と書いたのはそこがそのポイントだからです。

事実スサノヲ≒オロチであるのは、スサノヲと同神であるとされる下っての陰陽道・密教の星神(蝕神)「羅睺(ラゴウ)星」の頭髪が多頭の蛇で表されることからも見えます。

つまり、「ラーフ < > 多頭多尾の大蛇 < > 彗星の蝕神」という蝕神のコードと「スサノヲ(天岩戸)< > 羅睺星 < > 蛇」という蝕神のコードが重なっているのは、スサノヲが蝕神としての自分の神格をオロチとして討伐しているということなのですね(『宗像教授伝奇考:彗星王編』)。地上において「次」の役割をするために自身の蝕神という天界での神格を封じるとともに出雲土着の蛇信仰(後述)もまたオロチに託して封じているのです。

こういった経緯で、あたかも日蝕の見せる「太陽の穴」に放り込むかの様に土着の蛇信仰はスサノヲとともに封じられることとなります。これが第一の「封神」。

んが、蛇はしぶとい。出雲の地においてもそうそう簡単には封じられてはくれませんで、以下出雲・三輪・諏訪を結ぶ大掛かりな封印作戦がとられることになります。

オホナムチとオオモノヌシ  

前項の八岐大蛇退治のお話で、このストーリは出雲の地そのものにはないことを指摘しましたが、それもそのはず出雲の一族とは邪な大蛇どころか蛇を神聖な祖霊として祀っていた一族だったのです。中央の支配以降もこの土地では海辺に漂着したウミヘビの遺体を出雲大社に持ち寄り祀る風習が続いた、という一点を見れば明らかでしょう。

そもそもがクシナダの両親、嘆いてた老夫婦の名が「てなづち・あしなづち」。「つち」というのは「ツチノコ」と言う様に蛇を表しますが、この両親からして手足のない蛇という名前なわけで、蛇神を祖霊とする人々であったことが窺えます。

記紀神話でスサノヲの子孫とされる大国主(オオクニヌシ)がスサノヲ後のこの地を治めていたとされますが、スサノヲが前述の通り「作られた神」だとするなら、この大国主の現地での呼称「オホナムチ」こそが、出雲で古くから信仰されていた土着神本来であると言えます。

で、このオホナムチが蛇なんですね。後の「七夕:虹と蛇」のところで一方の蛇の古称(おそらくウミヘビ系を示す)「ナジ・ネギ」の語と「ナムチ」が近いことに注目しましょう。オホナムチとは要は「大蛇」なのです。これは大和系の神話にも部分的に暗示されていまして、オホナムチが王となる試練をこの時既に冥界の王となっているスサノヲが与えるのですが、これを乗り越えたオホナムチに「大国主となり、宇迦(うか)の山の麓に住んで国を治めろ」とご託宣する(『蛇の宇宙誌』)。この宇迦がキモなんですが、これはまた「宇賀」でもあり、インドで蛇を「ウガヤ」と呼んだのが源流にあるとも言われます(『狐』)。この頁最後の方の「稲荷と水神」の項で詳しくあたりますが、稲荷信仰のベースにも「宇迦之御魂神」と出てきますし、弁天信仰とも密接に関わります。ちょっと覚えておいてください。

その後、今度は本格的に人間の世界(中つ国)を統治するんだとして高天原からアマテラスの孫、ニニギノミコトが天下って(天孫降臨)平定をはじめる、という次第となります。出雲にはタケミカヅチが赴いて、大国主に国譲りを求めますな。この辺結構簡単に大国主は天孫組に国譲っちゃいます。

ここで注目ですが、この際大国主…オホナムチの言いようが重要です。曰く、国は譲りましょう。そして天孫の宮殿ができましたら自分はその片隅に身を隠しましょう。顕露(あらわ)のことはお任せして(表の世界のことはお任せして)、私は「幽(かく)れたる事」を治めましょう、と言う。

先に「新しい神・仏を据えたらその背面に「後戸」の神を据えて、古い信仰も保存するのです」と日本の「怨霊」を畏れる信仰形態のことに触れましたが、このオホナムチに(大和側が)言わせた言葉にはこれが端的に表れていると言えます。

事実、太陽神アマテラスをその「表の」信仰として祀る皇室は、その「かくれたる」後ろ……自らの本拠地、奈良の三輪山にこのオホナムチの幸魂をオオモノヌシという蛇神として祀ることになります。出雲の土着の蛇神を祀るコントロールを奈良の本拠地に移したのですね(『蛇の宇宙誌』)。

これが第二の「封神」でした。

ミシャグチ  

さて、一方でこの国譲りの際に実際の力比べを行ったのが大国主(オホナムチ)の息子のタケミナカタ(武御名方)ですが、この名の由来はもうズバリ「南方(ミナカタ)」。出雲一族がウミヘビを信仰する南方由来の海(あま)族だったことを示すと思います。で、このタケミナカタは天孫組のタケミカヅチにこてんぱんにのされちゃうんですが、この後遁走して諏訪の地へ逃れる。ここに第三の「封神」、ミシャグチの神が発生します。

諏訪と言ったらもう縄文文化の一大センターを成していた土地でして、この時代(大和朝廷黎明期)にあってもまだ縄文色の濃い生活様式を持っていました。大和朝廷はここに出雲の蛇神の末を封じることにしたのです。実際にはタケミナカタ(出雲一族)が直接諏訪に来たとかではなくて、出雲の残存勢力は諏訪から日本海側に下った「越」の地に逃れたのだと考えられます(今の糸魚川市辺り)。越の姫が大国主と結婚したりしてますしね(その息子がタケミナカタ)。そして、それを追った朝廷側がこれを制した後、タケミナカタの神霊を内地の諏訪に持ち込んだ、というところでしょう(『宗像教授伝奇考:蛇神融合』)。大和と縄文の中間にある出雲の蛇神で何とか諏訪の地をおさえようとしたのだと思います。

ま、なんで奈良から遠く離れた諏訪にご執心だったのかがそもそも良く分かんないんですが、天武天皇などは諏訪への遷都を計画したくらいですから、事実ご執心ではあったのです。

いずれにしても持ち込まれたタケミナカタを祭神として建てられたのが「諏訪大社」。こうして表向きは稲作文化の新しい諏訪が整備されていくわけですが、その裏でこの地にあった縄文由来の信仰の一切がその「後戸」に放り込まれることになります。これがミシャグチの神です。朝廷側はタケミナカタを主神とする信仰を持ち込んだかわりに、このタケミナカタの「蛇」の属性に土着の信仰を吸収させ、ミシャグチ信仰として許すことになります。

これはその具体的な祭祀形態を見ると明らか。タケミナカタとして流入してきた「新しい人」を諏訪氏とし、現人神・大祝(おうほうり)として主に立てますが、地元の有力氏族だった洩矢氏(後の守矢氏)を筆頭神官として、この大祝に神降ろしたミシャグチの神を憑依させ、その託宣を行うとしました(『蛇』)。

つまり諏訪大社の実質的な主神はミシャグチなのです。

そんなこんなで、ミシャグチというのはどういった神様かと言うともうさっぱり分からなくなるんですが、これは上に見た様にここに縄文土着の信仰のあれこれがみんな放り込まれたためです。石神である、塞神である、男根信仰である、胞衣(えな)信仰である、蛇神である、祟り神である、産土神である、田の神である、風神である……とまあなんでもあるのです。逆に言えばミシャグチの中に日本の古い信仰の形態がみんなパッケージされたとも言えますね。

タケミナカタ流入の時代から実に78代の長きに渡って口伝を継承してきた守矢神長家・守矢早苗氏によれば、以下の通り。

諏訪大社の祭政体はミシャグチ神という樹や笹や石や生神・大祝に降りてくる精霊を中心に営まれます。家ではミシャグチ様と呼んでいましたし、多くの呼び名や宛字のある神様ですが、ここではミシャグチ神とします。
「神長官守矢資料館のしおり」より

民俗学者の間においてもミシャグチ・ミシャグジ・シャグジ・シャクチ……と呼称の定まらない神ですが(wikiにある項目名はミシャグジになってますね)、上の筆頭奉斎者のことばをとってここでは「ミシャグチ」としてます。

いずれにしてもこの段階でおおよそ大和側の「下準備」は終了。ここからは西へ東へと「表の世界の」版図を広げていく歴史の時代となります。神話の時代が終わり、飛鳥から平城京・平安京へと連なる天皇と律令制の時代を形成していきます。

しかし、それは歴史時代へと走り出すひとつの統治マシンの完成であったのでしょうが、それはまたオオナムチの予告した「かくれたること」、その世界の完成でもあったのです。確かに古代の蛇神は「封神」されました。以降、全国には朝廷の進出にあわせて姿形の整った「表の神」を祀る神社が広がっていくことになります。

……それぞれがあのミシャグチの神が横溢する空間へと繋がる、「後戸」という小さなゲートを携えながら。

後年本邦の民俗学の嚆矢となる柳田国男は、各地の神社をめぐり歩きながら少々困惑していたようです(『精霊の王』)。

そこに神社があり、そこにはちゃんと神名帳に記載された神様が祀られているのだけれど、その脇にはいつも小さな祠があり、そこには縄文古代の遺跡から掘り起こされた石棒や石皿が祀られている(石棒が男性器・石皿が女性器を表し、陰陽石と言われる)。そしてそのいずれもが「シャクジン・シャグジ・シュクジン」などと呼ばれている。そんな神は記紀にもおらず神名帳にもない。しかし、それぞれの神社がそれぞれの神を祭る一方、その多くの傍らにひっそりと同系名で祀られる(つまり圧倒的な数になる)この小さな神は何ものだ?

そう、封じられた蛇神たちはシャクジンという形で、新しい律令の世界を知らしめす表の神の後戸にあってその古層の荒々しい、農耕以前の生命の横溢する空間へと繋がるゲートとして全国へ敷衍していったのです。

これは"イメージギャラリー:孤島の景観02"にあげたあの「あちらの世界とこちらの世界」を示す図に呼応します。

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人々は「仕切られた」農耕と徴税の世界にあって、それ以前の「滑らかな」空間へのゲートをシャクジンとして隠し持ったのです。ここではその古代の空間、祖霊の世界であり、滑らかな空間であり、狩猟の空間であり、生命力の空間である「あっちの世界」をミシャグチの神にちなんで「ミシャグチ空間」と呼びましょう。

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だからミシャグチの神とはミシャグチ空間へのゲートである「境界の神(塞神)」であり、そこからの生命力の横溢を示す「男根信仰」であり「胞衣(えな)信仰」であるのです。ミシャグチ空間から湧き出し、あふれてくる生命力。

端的に言いましょう。
湧き出し、這い出してくるものが蛇なのです。

ここにおいて旧石器時代から連なる「蛇神」のイメージの根本が解かれます。それはこちらの世界「ではない」、地の底や水の底や天空……日蝕の示す「穴の向こう側」に広がる人の理で整えられていない荒ぶる生命力の空間、ミシャグチ空間から湧き出し、這い出し、人々とその空間との接続をもたらす使者として振る舞うのが蛇なのです。

これが蛇であり、竜であり、龍です。
蛇龍を扱う者とは、ミシャグチ空間からの「贈り物」を取り扱う巫に他なりません。

では以降、この蛇神に仕える巫の系譜を追いながら、人々の日常にミシャグチ空間が接続する瞬間を覗いていってみましょう。

七夕  

龍は淵に棲む、というのは中国の項でも見た通りですが、淵とはまた滝壺です。字を見ればそのままで「滝・瀧」とはつまり龍のすみかを表します。日本では古くはここに蛇神が住む。ここからは上で述べた様なミシャグチ空間から這い出してくる「蛇」の姿が見え隠れする模様を見ていきましょう。

本邦昔話に頻出する「蛇婿」のたぐいですが、これは大体以下の様なもの。

機織姫(はたおりひめ)の物語は神に選ばれた巫女が川のほとりで機(はた)を織るうち、水の神にとり憑かれて水底へ引き込まれ、やがて人の性を失って蛇になる話で昔話では契約で成り立った「蛇婿」の話である。
(篠田知和基「竜蛇神と機織姫」)

機織淵の話(滝壺から機を織る音がする)などもそうですが、龍神・蛇神に見初められた娘(巫女は)決まって淵や湖へおもむき、これまた決まって「機(はた)を織る」のです。機織りといったら鶴女房ですが、おおむね「鳥」とは蛇の変形。蛇に羽が生えると鳥になるというイメージは洋の東西を問わず古くからあります。西洋では白鳥は羽根の生えた蛇だとされました。また、蛇が生命が大地から生まれ出てくるコードを表し、その肉体が死に、魂が天へ昇る様が鳥のコードで表される、という蛇と鳥の連絡を見る向きもあります(『蛇』)。

これはかつて蛇(水神)を祀った信仰の主催が蛇神に仕える巫女によって執り行われていたことの残滓でしょうが、なぜそろって機を織るのか。

織られた機はその淵の脇に設えられた「棚」に置かれ、これをもって蛇神への捧げものとされるわけですが、この「棚に置かれた機」が七夕(たなばた)の読みの由来です。なるほど主役が「織姫」なわけですね。しかしなぜ機を捧げるのか。七夕が何を願っているのかというと、元来は豊作祈願です。順当に降雨があることをお祈りしている。しかし機を捧げるとなんで雨が降るのか。

ここで少し目を転じて、これまでに出てきていない龍神・蛇神のもうひとつの側面を見てみましょう。

それは虹です。

レインボーですね。「虫」の字はそもそもが蛇を表す字で、昆虫のことではありません。昆虫を表す(小虫を表す)字は「蟲」のほうで、成り立ちも別です。後で混同していったわけです(『字統』)。

虹とは古代中国では天界に住む龍と考えられていた。というよりも虹(こう)とはズバリその龍の名前そのものです。"にじ"の外側に二重にかかる"にじ"を「げい(猊のへんが虫へん)」といい、虹と雌雄とされた(虹が雄)。実際アーチ型(虹型)の両端に頭を持つ龍として青銅器が作られていたりもします(『中国古代の民俗』)。
そういえば「捜神記」に、孔子の前に虹がたれ、その虹が示した玉に未来に劉の字の王が立つ預言が記されていた、なんて話もありますが、この虹はどうにも龍ですね。

この虹を龍と見るイメージは世界中に分布しており、水から発する・水を飲み干す・大地の龍の影である・虹は雄牛の頭を持つ・竜王の使者である……とまあヨーロッパ・アジア・アフリカ・オーストラリア・アメリカまで世界全域に虹が天空の蛇であるというイメージがある(『蛇の宇宙誌』)。

日本でも虹とは大地のエネルギーが天空へ向って放たれる現象であると捉えられており、虹の立った場所に市(いち)を開くべし、というおふれが出たりする(『虹の理論』)。龍神・蛇神を主とする池・湖沼から虹は立つのだという伝承は全国区で見られますし、そもそも「にじ」の語そのものが「ナギ・ネジ」などの蛇の別称とと同一の語源とも考えられています(『蛇の宇宙誌』)。この系の蛇はおそらくはウミヘビ。「ウナギ」などに残るのがそうでしょう。また海にあって風のない「凪(なぎ)」もウミヘビ神のせいだと言ったりもします。

ここで連想されるのが七夕飾りの吹き流しです。色とりどりの「機」を垂らしてお飾りをする。あれは織姫の織る「はた」を表しているのだそうですが、この吹き流しは五色で構成されるのが本来で(鯉のぼりの吹き流しがそう)、この五色は陰陽五行の五色に準じます。

これは虹ではないのかしら。

つまり七夕とは蛇神に仕える巫女(機織姫)が、色とりどりの機を織り、それを蛇神へ捧げ、その本体(虹)を強勢にし順調な降雨を願う、そのようなものであったのだろうと思います。つまり、七夕の願いをきくのは織姫・彦星ではなく「龍神」なのです。もしかしたら、二人の邪魔になっている天の川そのものが龍神であり、本当の主役なのかもですね。

0517b.jpgむろん七夕というの色々な要素が流入して今の形になってるので(ぶっちゃけ大本は「お盆」です)、織姫の要素が全部ではないですが、「たなばた」と名がそうなってる以上はもっとも強いコードではありましょう。

今の七夕には龍や蛇はまったく姿を現しませんが、織姫を通して、その織る機を通して、その回路は古代の蛇信仰へ繋がっているのです。

竜宮  

滝壺に龍が湧くのならば、その水底は竜宮に繋がっています。浦島太郎的な意味で竜宮と言ったら海の底にありそうなイメージですが、滝壺に現れるモノも、沼のほとりに現れるモノも、それは皆水神のつかいであり、蛇神の化身であり、竜宮からの使者なのです(『竜蛇神と機織姫』)。

ところで全国に○○大山とか○○大島と名のつく地名が多いのですが、ここには良いヒントがあります。これらの特徴は「大きい」というよりも象徴的な立地・地形であるという点。

縄文古代の日本人には大きく分けて内陸形の狩猟で生きる人々と、海人として海に生きる人々がいました。山と海ですんで、なにがしかの象徴を投ずる対象もまた山と海に分かれる。人々は死んだらその魂が「あちらの世界」へ旅立つのだと考えましたが、地上にはそういった魂が集って「ジャンプ」するための特別な場所があるのだと考えた。

山の民は頂上の尖った円錐形の山(神奈備型の山)がそうだと思い、海の民は自分たちの生活する浜辺から水平線に見える島がそうだと思った。それが○○大山であり○○大島なんだというのです。この頃の日本には大まかにモンゴルから朝鮮半島・あるいはカムチャッカ半島経由の北の文化と、東南アジア・ミクロネシア(太平洋)からの南の文化が流入しているのですが、ミクロネシアの方にも上の様な「魂がジャンプする島」の信仰があり、その島を「オオ/オー/o」と呼ぶのだそうです。

これが日本において、沖縄のニライカナイ(海の彼方の楽園)伝承や、山中異界の隠れ里の伝承のベースとなっていったのは想像に難くないでしょう。それはまた、竜宮のイメージのベースでもあります。

山にあれ海にあれ、その「特殊な御殿」は結局のところはあの「祖霊の世界・ミシャグチ空間」へのゲートであるということなのだと思います。里においては上に見た「シャクジン」がそのゲートであったわけですが、山海においてはよりダイレクトに大地の生命力のあふれている場所、滝壺であり、湧き水であり、虹の立つ湖沼であり、太陽の昇り・沈む場所にある島礁であり……が、竜宮として、隠れ里としてゲートとなります。

ゲートから湧き出し、這い出してくる者は蛇です。

だから「竜」宮であるのですし、そこにいる姫は蛇であり、竜であるのです。織姫 - 玉姫 - 乙姫はまったく同じ系列に属する「竜蛇神ないしこれに仕える巫女」であると言えるでしょう。

玉姫とは豊玉姫。海幸彦・山幸彦の神話で山幸彦を竜宮へと誘い、「塩盈珠(潮満玉)・塩乾珠(潮干玉)」を与えました。お話では、海幸彦と山幸彦がたまには得意の狩り場を交換しようや、とやって、海釣りをしていた山幸彦が海彦に借りた釣り針を魚にとられてしまう。聞いた兄の海幸彦は怒って許してくれないし、あーもーと途方にくれていると竜宮(海神の宮)からお呼びがかかる。これに応えて赴きますと、豊玉姫がいまして一目惚れしちゃって………というおなじみコースで、釣り針を見つけて潮の干満を操って兄を懲らしめることのできる玉をもらって帰りますのです。

さて、このタイプのお話というのは環太平洋に大変広く分布していまして、元々は海の民のお話。これがなぜか日本では「山」幸彦が主役でして、本来竜宮へ行くはずの海幸彦の方が懲らしめられる立場になってしまっている。

これすなわち内陸型の大和朝廷が海人の一族を制圧する際にその正当性を示すためにお話を改変したのだと考えられています。海の民が海の神にご褒美をもらう話を内陸の民が海の神に海を(潮を)支配する力を授かる、という話に変更したのですね(『ハワイ・南太平洋の神話』)。

お話だけ見てますとのどかと言ったらのどかなお話ですが、この山幸彦(ホヲリ)と豊玉姫の間にできた息子と、さらに竜宮から使わされる玉依姫との間にできた息子(つまり山幸彦の孫)こそが、初代の天皇、神武です。のどかどころか結構シビアなポジションにあるお話なんですね。二代に渡って竜宮のお墨付きを受けるという形で海の民を支配する正当性を示そうとした、ということです。天皇制が始まる際の最も重要な懸案事項が海の民の制圧であった、ということでしょう。

ところで記紀でもこの海中世界は「海神の宮」ですし、お姫様も豊玉と玉依で、一体どこが蛇で竜なんだ?とお思いかもですが、上のお話の後日談として山幸彦が自分と豊玉姫の間にできた子供の出産に際して「見るなの禁」を破ってしまう、というお話が続きます。産屋を覗くなと言われたのに覗く山幸彦なわけですが、ここで豊玉姫が「鰐(ワニ)」の姿となって息子を出産しているところを目撃してしまう。鰐というのはフカ(鮫)などと並んで、この頃は大蛇・竜と渾然一体のいわゆる水神ですから、要するに竜です。更には山幸彦と豊玉姫の息子、神武の父にして最後の神の名は鵜葺屋葺不合命「ウガヤ」フキアエズノミコト。上の「オホナムチとオオモノヌシ」にあった「ウガヤ(蛇神)」です。で、姫はその姿を見られたのを恥じて海に帰ってしまいました、という感じ。このお話は「蛇女房」の一種でもあるのです。

つまり、このお話は竜(蛇)神から潮の満ち引きを操作する宝玉をもらったお話、ということになります。この宝玉はだから「月」の象徴でしょう。人々は有史以前から月の運行が潮の満ち引きと関係していることを知っていました。「ドラゴン:中国」で龍の特徴のひとつに「玉を持つ」ということをあげましたが、この玉は日月の象徴です。本邦でも特異な大蛇は、その「目」が「ほおずきの様に赤く光り(八岐大蛇)」とされますが、これは中国の龍の目が「兎の目(赤い目)」であるとされたのに同じ。この「赤く光る目」が日月の象徴とされた(『蛇』)、というわけで、これが下って「龍の玉」となったのでしょう。

前半のお話に繋げますと、この竜宮譚は「こっちの世界」の王の正当性が「あっちの世界(ミシャグチ空間)」のゲートからもたらされる龍の力・自然をコントロールする玉によって成立する、という形だということです。大きな自然を操る力は当然「こちらの人の世」にはない。それは生命力の源泉・祖霊の世界であるミシャグチ空間からもたらされるのです。王とは農耕の頂点にあって聖でなければならなかった。聖(ひじり)とは「日を知ること(日知り)」のこと。王の証とは日月を誰よりも良く知ることに他ならなかったのです。

これはスケールをおとせば昔話・民話のそこかしこに見られるモチーフです。自分の目「玉」を息子に残していく蛇女房。世界中に見られる、泉におとした斧(小槌)を携えて現れる水姫神(これは「鍛冶・金属加工」という、天体とはまた別のコードの「自然を操る力」を示しています)。狩人の迷い込む動物たちが群れ集う山中の異界。竜宮に舞い踊る魚たち。

これらは皆、日頃見る自然「以上の自然」。祖霊の世界・ミシャグチ空間に横溢する生命力と自然の秘密がそのゲート越しに垣間見えた様子を伝えるものです。竜宮とはゲート。祖霊の世界へ通じるゲートであり、ミシャグチ空間の力をこの世にもたらすゲートなのです。そこへ誘うもの、そこから溢れ出す力、それが竜蛇であり、仲介するのが仕える巫女なのです。

では最終項。このゲートが今現在もっとも「見やすい」形を持って広がっている二つの事例を紹介しましょう。日本中どこにでもある二つの社、お稲荷さんと弁天さんです。

稲荷と水神  

七夕・竜宮と来て水神としての面が強調された蛇神ですが、あのミシャグチ空間への往復をする使者としては当然「大地の力」を示す面もあります。頭に述べた円錐形の山はそのままとぐろを巻いた大蛇と見られた、なんてのがそうですね。そしてその側面を覆っていったのが稲荷信仰です。

稲荷信仰が古来の蛇信仰を上書きする形で広まっていったのでは、という線なのですが(『狐』)、これはそもそも稲荷信仰が何のために勧請されたのかを見ると早い。

時は和銅四年(711)。この元号は読んで字のごとく本邦で最初に銅が採掘されたことに由来します。銅が出たのはめでたいのですが(元号にするくらいですから)、これを境になぜか大雨が降る天候不順が続くことになってしまった。こりゃ困ったね、ということなんですが、ここで当時新興勢力の渡来系最大氏族の秦氏のなにがしが、これまた当時の日本では「最新のテクノロジー」であった陰陽五行説も持ち出してこう言ったのです。

銅とは金気です。金の気は水の気を生む(金生水)。数年大水が出ているのは和銅により地上にあふれた金気が水を生んでいるのです。

てな感じ。そして、この「水の気」を抑えるためには「土剋水」の関係から土の気を強勢にする呪術をすべきである、としたのです。その「土の気」を良く表すものとして選ばれたのが漢代の『説文解字』(最古の字典)に「その色は中和」とされた狐でした。色が中和であるというのは黄色、五行の中央を占める色です。その性質は土。つまり狐は土徳を持つ動物だということですね。

こうして全国の稲荷の総本山である京都伏見稲荷がひらかれました。この「土の徳」であるという基本設定がその後稲荷が農耕の神として民衆に広まっていく際の土台です。

そして、この伏見稲荷の置かれた稲荷山のそれ以前の祭神が大蛇だったのです。この山には「竜頭太」というものがいて、庵を結んでいた。これを弘法大師が鎮め、稲荷を主祭神として祀るに至ったのだと伝承される。

ここからは私見ですが、これは渡来系・内陸系の大和の一族が、水の神である竜蛇神の上に内陸系の「土の徳」を持ってこようとした一連の流れなんではないかと思います。蛇の持つ農耕の守神としての側面を同じ土の徳を持つ狐で置き換え、水を土で抑えようとした。それはおそらく上で述べた気候不順の問題だけではなかったのです。それはこれまでに述べた出雲・諏訪を舞台にした封神の過程や、海幸・山幸で見た山側(内陸側)への権限の委譲と同じ構造を持っています。

だから、稲荷の主祭神は「稲荷神」ではなく「宇迦之御魂神」であり、狐はその使役神なのです。「オホナムチとオオモノヌシ」で見た様に、この「宇迦之御魂神」とは大和系に国を譲った出雲の蛇神「オホナムチ」のことです。「ウガヤ」とは古代インドの梵語で白蛇を表します。この辺りの経緯はズバリ伏見稲荷のお札の絵柄に見える通り。

0517e.gifこの後稲荷は全国に広まっていきますが、稲荷が祀られた地にはもともとはこの「ウガヤ」が祀られていた可能性が高い。かつてとぐろを巻いた大蛇であるとされた円錐形の山。人々の田畑を見守り、その魂のあちらの世界へ発つところとされた各地の神奈備の山には、このウガヤが祀られており、それが順次新しい農耕の神としての稲荷に書き換えられていったわけです。

さて、今度は「大地の力」の蛇に対して再び「水神」としての蛇神。「宇迦之御魂神」はまた「宇賀神(うがじん)」であるのですが、この宇賀神とはすなわち水神・弁才天のことです。

一般に弁財天と書かれますが、これは下ってこの神様が財力をもたらすとされて以降。もともとはインドのサラスヴァティという川の神なのですが、これがあれこれ習合されたので仏教では多芸多才の神とされます。そして日本にやってきても、基本は芸能の神様だったのですね(だから琵琶を持っている)。更に、もともとサラスヴァティが蛇神で(インドの神様は大概蛇です)、川の神として水の淵、水源などに祀られたことにより日本の蛇神「ウガヤ」と結びつきます。こうして水神=弁才天=宇賀神=竜蛇神となるのです。

この辺りは鎌倉時代のことなのですが、ここにはかつて大和朝廷がやったことと同じ様な側面が見えます。この時代、封じられてきた古代の民が大暴れをしました。それは義経の伝説に見えますが、まず牛若を鍛えた鞍馬の烏天狗は修験の一派。山に住まう縄文由来の文化を持つ人々と密接なつながりがあります。そして奥州藤原氏。北にあって中央と覇を競う力を持っていた彼らもまたかつて「征夷」の対象とされた北方の古代氏族の流れを汲みます。更に水軍。瀬戸内から壇ノ浦にかけて義経に合力した熊野水軍はかつての海人の民の末裔ですね。義経は平泉で死んだのではなく北に逃れたのだという伝説がありますが、これを助けたとされるのも奥州藤原氏と縁のある東北の安東水軍だと言われます。この人々はあの伝説的な蛇神「アラハバキ」を祀る人々でもあります。

天皇家の衰微とともに力を盛り返した古代氏族。「仕切られた空間」ではなく「滑らかな空間」に住む彼らはこの後、日本中世を縦横無尽に駆け抜けていくことになります。

ここで弁才天なんですが、鎌倉幕府はこれを重く見た。江ノ島に加えて内陸の岩清水にいわゆる「銭洗弁天」を祀り、鶴岡八幡宮にも弁天像が伝わる。どんだけ弁天好きなのよ、ってなもんですが、これすなわち台頭してきた古代氏族、水の蛇を奉じる人々を意識してのことじゃなかったのかしら。

実際弁才天が竜蛇神の性質を持っていることは、例えば鎌倉幕府の北条氏などに見えます。文覚上人がひらき、源頼朝も良く祀ったとされる江ノ島弁才天ですが、下って鎌倉北条の北条時政もこれに良く参籠した。これが大変熱心に参籠するので遂には弁天様が姿を現しまして、その証拠に鱗を三枚残していきます。この三枚の鱗が北条氏の家紋「三ッ鱗」の由来である、とまあこういう感じ(『蛇物語』)。もともと江ノ島の弁天はこの地で暴れていた龍の前に現れた天女がこの龍と夫婦となり、島となってこれを治めた、ともされる様に大変ダイレクトに龍を示す弁天様ですね(『海辺の聖地』)。

銭洗弁天の方では……銭洗いとなったのはもっと後ですが……これを「宇賀福神社」であるとし、宇賀神と弁天の習合を計る。弁天像やその絵画に良く白蛇が書き込まれてますが、それが宇賀神(ウガヤ)です。この辺はかつて大和朝廷が蛇神を封神していったのとそっくりです。大和朝廷が海神のお墨付きをもらったとして海人族を平定した様に、鎌倉は弁天(竜蛇神)のお墨付きをもらっているのである、と。

そんな感じで。
土地の神としての蛇神の性質は稲荷神に上書きされつつ今に残り、水神としての蛇神の性質は弁天として今に伝わる、というところです。ここには封じられながらも「蛇に仕える巫」であった古い日本の信仰が見え隠れしている。稲荷を、弁天をゲートとするミシャグチ空間への経路もまた日本にはたくさん残っているのです。

では、最後にそこから垣間見える最強のイメージを紹介して終わりましょう。

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天河秘曼荼羅

おそらく(色々な意味で…笑)日本一有名な弁財天。奈良天河弁財天に伝わったという秘曼荼羅です。中央は、宇賀神であるところの弁財天。蛇ですね。ていうか中央の大首は狐じゃねいのか?耳がある。
そして同系統のいわゆる天河曼荼羅、宇賀曼荼羅と言われるものをいくつか見てみますと……

0519d.jpg
白狐が描かれている

0519e.jpg
弁財天は蛇でないけれど…

んまあお稲荷さんまで登場してたりするんですわ。下の絵の背景の月(?)など、竜蛇神の目が日月である、鏡とは「カガ(蛇)の目」である、というイメージそのまんまですね。こっちにも狐(稲荷)が飛んでます。

と、いった感じで。

これが日本の竜蛇神であり、その巫女の姿です。これは決して表立った神の姿ではない。その後ろにあって、荒々しく混沌としているけど整った表の世界とは比較にならない生命力を秘めたミシャグチ空間からやってくるモノなのです。

おわりに  

いずれ龍の起源については言及することになりますが(「ドラゴン:オリエント1:龍の起源」)、この「龍・ドラゴン」が生まれる前に旧石器時代から延々と世界中に広がって続いてきたのが「蛇」への信仰です。で、そのゲートはすべての龍信仰の底にあるのですが、このサイトの読者の方はまず100%日本人ですから、日本を舞台にそのゲートの設置される様子と今に続くその有り様を見てみました。

運良く日本には上に見てきた様な太古の蛇信仰への回路が未だに生き残っています。ちょっと散歩がてらに、ご近所のお稲荷さんや弁天さんを覗いてきたらよろしいのじゃないでしょうか。更に広く蛇信仰や龍信仰をあたれば根本には水神に仕えた巫女そのものの「レイ(雨冠に龍、雨乞いを表す)」の字にまつわるミズハたちの系譜があり、各地方では夜刀の神であったり、九頭竜であったり、果ては貴船神社や金比羅さんやらときりがないのが日本の古層に眠る蛇というものです。その辺りから覗くことのできるミシャグチ空間の模様は下の参考図書より追いかけてみてください。

おまけ  

最初に「地味」とした日本の龍ですが、こうして見てくればそれが「流行らなかったから」ではなく「隠されたから」であることがお分かりでしょう。実際見ようによっては日本の神様のほとんどが蛇身になりかねない。ぶっちゃけ天皇家だって蛇の一族ということになるのです。

これは武家・貴族にもそこはかとなくありまして、おまけとしてある家紋の系列を紹介しておきましょう。

上の弁天様のとこであげました北条家の「三ッ鱗」ですが、これには一枚から六枚くらいまで「鱗文」の系列がある。そもそもインドでは△を男性原理▽を女性原理とする蛇の鱗の紋章の系があるのですが、これは広く日本にまで来ていると言えましょう。

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北条三ッ鱗
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清明六ッ鱗

例えばドーマンセーマンで有名な六芒星はこの△▽が重なった形。「六ッ鱗」「陰陽二鱗」「重ね鱗」などと言われるのです。五芒星も「五ッ鱗」ですね。ぱっと見すぐに六芒星=ダビデの紋章=秦氏=古代ユダや民族……となりそうですが、そのコードだけではないのです。△は東洋ではとりもなおさず「龍の紋章」なのですね。

参考図書
参考にした手持ちの資料はいくつかは"絶版"の模様なので簡単に。大きい図書館などにいったらある……かも。太字は現在も出版されている模様です。

吉野裕子『蛇』法政大学出版局
吉野裕子『狐』法政大学出版局
・吉野裕子『扇』人文書院
(吉野裕子氏の業績は現在は『吉野裕子全集』として入手できます)

中沢新一『精霊の王』講談社
中沢新一『狩猟と編み篭』 講談社
・中沢新一『虹の理論』新潮文庫
中沢新一『悪党的思考』 平凡社ライブラリー

星野之宣『宗像教授伝奇考:彗星王』 小学館
星野之宣『宗像教授伝奇考:蛇神融合』 小学館

白川静『字統』平凡社
白川静『中国古代の民俗』講談社学術文庫
荒川紘『龍の起源』紀伊国屋書店
・小島瓔禮『蛇の宇宙誌』東京美術
篠田知和基『竜蛇神と機織姫』人文書院
・笹間良彦『蛇物語』第一書房
・上田篤『海辺の聖地』新潮選書
・後藤明『ハワイ・南太平洋の神話』中公新書

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